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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

BENTLEYHEADLINE

TURBO R

 MAKER BENTLEY 


  MODEL


AZUR-SPYDER



(TURBO-R Convertible)




By:「ROBERT-JANKEL」



(アジュール・スパイダー)



 
  YEAR 1990’
  EXTERIOR WHITE


(ホワイト & タン幌)
  INTERIOR TAN- LEATHER
 

(タン・レザー))
  PRICE \ ask
 
  MILEAGE 28.792 Mile(46.067km)
  AMMENITIES




北米仕様 新車並行 左ハンドル




(90’モデル 国内登録 90年) 




V8 OHV 6747cc・ターボE/G  




3速コラムAT 






全長:526cm


全幅:189cm


全高:153cm




車重:2330kg


定員:4人





標準装備:



パワステ、PW、オートエアコン、フロント:パワーシート、F:シートヒーター、



F:シートメモリー(4人分)+ランバーサポート、他






「アジュール・スパイダー」装備:



* フル電動オープン









内外装極美、機関・当社にて完全整備渡し、超極上車。  




車検:2年付き渡し


 
  COMMENT




「ベントレー・ターボR」の「2ドア・コンバーチブル」




正式モデル名:




「アジュール・スパイダー」




 コーチビルド By:「ロバート・ジャンケル」!










解説:




驚愕の1台である。



天才「ロバート・ジャンケル」師匠、傑作中の傑作モデル!”



このモデルは、知る限り、1988年~1991年の間にのみ生産された。



4ドアの「ターボR」を、「2ドアのコンバーチブル」*英国流には「ドロップ・



ヘッド・クーペ」に、コーチビルドしたモデルである。




まずは、ベース・モデルとなった「ターボR」から、さっと おさらいしておこう。











一時は無名に等しい存在になった「ベントレー」の名を世界中に知らしめた



世紀末 救世主「ターボR」!




なにせ、「ベントレー」ブランドが、「ロールス」ブランドの生産台数を超えたのは、



「ベントレーS1」1955年~59年 以来のこと、。



「ターボR」の怪物ぶりが ご理解いただけよう。





「ターボR」のベースモデルは、一般的に「SZ系」と呼ばれている。



「シルバーシャドウ」(65’〜80’)=ベントレー「T」シリーズの後継モデルで、



1980年から1998年の間、実に18年間にも渡って生産されたロングセラー



モデルであった。




当個体のベースは、




1990年に、「オートライド・サスペンション・システム」や「自己診断機能」を



備えた「インフォメーション・パネル」が採用された「シリーズ2」。




「ベントレー」ブランドが、歴史上もっとも売れた年のモデルである。



1990年、「ターボR」は、「921台」生産(オーダー)されたが、



同サイズの「ロールス・スピリット2」は、「575台」、



大人気「スパー2」をもってしても、「614台」と「ターボR」には敵わなかった。







「ロバート・ジャンケル」物語




この男、、タダものじゃない。





正式社名:「ROBERT・JANKEL・DESIGN・LTD」




「ロバート・ジャンケル」師匠は、近年コーチビルダーを代表する人物である。




1938年1月、ロンドン、服飾会社を営む裕福な家庭に生まれる。



名門「チェルシー・カレッジ」で機械工学を学ぶとともに、自動車デザインに



興味を持つ。



1955年、僅か18歳のころ、1台の「オースチン7」を分解し、改造、



これが、コーチビルド業の最初の1号車である。




この年、登記していたかは不明だが「ロバート・ジャンケル・デザイン」設立。



その後、多くのクルマを趣味でコーチビルドしていくが、まだまだ、本業ではない。




家業を手伝いながら、32歳になった、1970年のこと



自身でコーチビルドした(この時は改造だが)1930年製「ロールス・ロイス」に



乗り、コンチネンタル・ツーリング(ヨーロッパ旅行)に出かける。



このエピソードからも、如何に裕福な生まれであったかが伺える。




旅先のスペインで、著名な闘牛士と知り合い、乗ってきた「ロールス」を気に入られ



「どうしても譲ってほしい」と祈願され、高額で売却する。



この一件で、自身をつけた「ロバート」は、益々 自動車ビジネスに傾倒していく。




最初は、英国にありがちな小さなバックヤード・ビルダー的存在であったが、



1972年



ファッション業界からも一切手を引き、別途「自動車メーカー」を設立する。




それが、あの「パンサー」社である。




そう、「ロバート」は、「パンサー」社の創業者で社長で、デザイナーなのだ。




「ジャガー」社の創業者「サー・ライオンズ」氏に多大な影響を受けていた



「ロバート」は、「ジャガー」に対向して(憧れて)「パンサー」と命名。



どちらも日本で言う「豹」ヒョウであるが、分布地域が違うのと、ヒョウ柄の



真ん中に、黒い斑点があるのが「ジャガー」ながら、ほとんど区別がつかない。




設立当初は、戦前「ジャガー」の名車「SS100」を模した「パンサー・J72」



というモデルで名をうる。



エンジンは、もちろん、ジャガー製であった。



このモデルは、300台ほど生産され、国内にも数台が輸入、現存している。



その後、発表した小型2ドア・オープン、「モーガン」によく似た「パンサー・リマ」



は、ヒット作で、1000台ほどのオーダーが入り、国内にも多くが輸入された。



だが、「パンサー」で、もっとも凄いモデルは、1975年発表




「ブガッティ」の「ロワイヤル」を模した「パンサー・デ・ビル」であろう。



このモデル、1996年公開ディズニー映画「101匹わんちゃん」中で、



悪者役の「グレン・クローズ」扮する「クルエア・デ・ビル」女子が乗っていた



コンビカラーの巨大なクルマ、あれだ。



このモデルは、発売当初から、「ロールス・シャドウ1」の2倍もする価格の



超~高級車だった。



もっとも、その高額すぎるプライスで、1985年の生産終了までに、「57台」



しか生産されていない。






「パンサー」社は軌道に乗ったが、「ロバート」自身は、急激に大きくなり過ぎた



会社に、手を持て余しはじめる。



で、1979年、実業家「ヤン・キム」に会社ごと売却してしまう。





そこで、「ロバート」は、ほとんど休眠会社であった「ロバート・ジャンケル・



デザイン、LTD」を再興、1980年から、超高級自動車のコーチビルド業に



専念する再スタートをきる。




まず最初に、その名を世界に轟かせたのは、やはり、ロールス「スパー」



「スピリット」ベースのストレッチ・リムジンのクオリティの高さであった。




当社でも、ロールスのストレッチ・リムジンは、メーカーである「MPW」物



以外では、基本、「ロバート・ジャンケル」物か「HOOPER」物しか扱わない。




それほど 凄い。




星の数ほどあった「ストレッチ会社」の作品の中で、ボディがよれず、今でも



普通に乗れるのは、この2社くらいのもの。





1980年代になると、にわかに バブル景気の兆し、、世界中から、スペシャル・



オーダーが舞い込むことになる。




もともと、自動車メーカー「パンサー」という独自の自動車をデザインし、生産



するノウハウとセンスを持っていた「ロバート」は、ユーザーの好みを察知する



かのように、そのモデル・ラインナップを増やしていく。




更に、80年代初頭には、正式に「ロールス」社の「下請け会社」の認可を得る。



このころ正式に認証された会社は、「HOOPER社」と「ロバート・ジャンケル」社



だけだったはずである。




そうして、バブル期の頂点年、1990年のモデル・ラインナップは、



「11」モデルに及ぶ。




内容は、



・「ストレッチ」系「リムジン」が、4種類。



・天井まで高く、一からデザインした頂点リムジン「ロイヤル」、1種。



*この「ロイヤル」は、2億を超えるプライスで、2台しか生産されておらず、



 現在、内、1台を弊社が所有している。




・「ショートホイール」の「ワゴン」が、1種。



・「ロングホイール」のワゴンが、1種。



・1988年の「ターボR」をベースに一からコーチビルドした「2ドア・クーペ」


 
 =「ゴールド・ラベル」が、1種。



からの~



・「ショートホイールベース」の「2ドア・クーペ」=「アジュール・クーペ」1種。



・それを、オープンモデルにした当「2ドア・オープン」、1種。 





これが、全盛期のラインナップ、全「11種」であるが、



どのモデルも、今じゃ考えられないほど高額で、アラブの王様か、ブルネイの国王か



日本人じゃないと買えない、、そんな時代。




今でも、世界一の「ロバート・ジャンケル」コレクターは、ブルネイの国王で



あろう。 国王ロールス&ベントレー・コレクションは、600台程にのぼるが、



その大半は、「MPW」の特注モデル。



そして、今でも ご所有の「特注リムジン」や、「ベントレー・ワゴン」などは、



ロールス社経由で「ジャンケル」社に依頼され製作したモデルだ。 



あのころは、「MPW」大忙し、正式下請けへ だ。





日本にも、正規輸入元が存在した。「SANEI」、



この会社以外にも、並行輸入というカタチで、多くが輸入されたが、それも、



1988年〜1991年の3年間に集中。



しかも、一番多く輸入されたのは、ラインナップの中では、一番安価だった



「ストレッチ」の「リムジン」、それでも、販売価格は、6800万円ほどだった。



当モデルは、「コーニッシュ3」新車価格:4100万円の倍以上はしたはずだが、



個人的に、新車で販売しているところを見たことがない。(それほど希少)










当個体の正式名称:「AZUR・SPYDER」




発売は、1988年のこと。




のち、1995年に本家「ロールス」社から発表された「2ドア・オープン」は、




「AZURE」





「AZUR」 :フランス語 アジュール



「AZURE」:英語    アズール




意味は、同じ、地中海の青い空 だ。




あのロールス社が、まさかの、、パクリ??



どういう経緯があったのか不明であるが、どのみち、バブル崩壊後の1995年には、



「ロバート」は、「アジュール」の生産どころか、、需要の無くなった高級自動車



コーチビルド業からも手を引いていた。




おそらく、ロールス&ベントレーを手掛けたのは、1991年が最後であろう。



モデル的には、当モデルも、「ファイナル・モデル」の一つ。













では、この個体の お話





1990年モデル 北米仕様 新車並行 左ハンドル



どこの会社が輸入したきたのかは不明、= 正規輸入元の「SANEI」さんも



車検証の型式は、並行車と同じだったから、いってみれば、どれも並行物。





2オーナー時の、平成13年、弊社・初仕入れ。



その後、お二人のエンスーなお客様に販売させていただき、全、4オーナー。



平成13年からは、ずーーと弊社管理下にあり、整備も担当。




実走: 28.792マイル = 46.067km!



弊社でも歴代オーナー様にも、随分を手を入れていただいたので、これ以上の



コンディションは望めまい。 前オーナー様に、感謝。






「ターボR」の「4ドア・セダン」から、この精度を持つ「2ドア・オープン」に、



どうやったら作れるのか、、想像がつかない。



当時「ベントレー」の新型「カタログ・モデル」としても、まったく遜色がない。



というか、逆に、当時の「ロールス」社「MPW」には、このモデルを作る技術力



はなかった。




特に「フル電動」の「幌システム」のところが、、。



当時の「MPW」オープンカーは、「コーニッシュ」であるが、1991年まで



手動でラッチ解除のモデル、おそらく、この「アジュール」を診てであろうが、



1992年~の「4」では全自動になる にはなるが、その構造も、この「アジュール」



の構造には敵わない。 頑丈さで。




敵うのは、95年~の「アズール」であるが、あれは、「ピニンファリーナ」に依頼、



わざわざイタリアまで運んで作ってもらっていたのだから、90年の段階では、



「ロバート」の発想は群を抜いていた。




自動解除の「ラッチ」の仕組みが秀逸かつ頑強で素晴らしい。



「幌」自体の「作り」は伝統のまま、「表張り」は、「コーニッシュ」と同じく、




「エバーフレックス」製で、「裏張り」も同じく、フランネル?の高級生地を



「吊るし張り」とくる。



内張りが、宙に浮いてる張り方であるが、この芸は、難易度MAXだ。



「ジャンケル」社の職人が、後世に張り替えるであろう職人に、



「どうだっ できるか?」という挑戦状




弊社なら、受けてたつ! が、その必要は、まだまだ、かなり先の話。



幌コンディションは、極めてよいから、張替えの必要など、まったくなし。




「表」と「裏」の間には、断熱材(ふとん)が入り、幌の厚さは、7cmほどもある。




密閉度は、「コーニッシュ」と同等か、少し優れているレベルにある。



「コーニッシュ」の幌より、より、フラットに折りたたむのは、◎。




幌の開閉は、センターコンソールBOXのスイッチ。




押すと、ウィーーンと固定ラッチが回転して外れ(見えないけど)、



オープン化が始まる。




要す時間は、オープン、クローズともに「12秒」ほど。



開閉シーンは、ドラマチックで、観ていて飽きない。









このような「2ドア・オープン」モデルは、当時「HOOPER」社でも作っていて、



数台が日本にもやってきた。当時、私も じっくり診た が、こと「オープン・モデル」



においては、「ロバート・ジャンケル」の方が精度が上だ。




あちらは、油圧(電動)開閉時、左右幌骨に掛かる圧に若干のバラツキがあり、



ゆらゆらと幌自体が揺れながら開閉していた。(うちなら直せるかもだが)



四天王「HOOPER」もフル電動物という近代装置では、「ロバート」には



敵わなかった ということ。








外装: 「ホワイト」 



幌 : 「タン」





元色であるが、以前にクラックの入った箇所は、すでにウレタンで塗装リペア済み。



ホイール・ベースは、オリジナルのまま。ホイールも。




全体のデザインは、さすがの「ロバート」師匠。




どの角度から観ても、絵になる。




車検証上:「526cm」と 「ターボR」の「528cm」より、2cm短いが、



これは、気のせいだと思う。



代わりに「全高」は、「153cm」とオリジナルの「148cm」より、



5cm高いが、これは本当に、幌の分、盛り上がっているので、。




特筆、



このフロント・ドア、、オリジナルのドアを10cm伸ばして作っている。



しかも、キャッチもオリジナルのままだし、出来栄えも◎で、違和感がなし。



どうやって作ったのか、、やっぱり、分からない。



しかも芸が細かいというか、大きくなったドアの重さを補うため、



固定キャッチが増設してある。



これは、幌部にもある。



なんて、親切な方。



これで、ボディ剛性も稼げる。




驚くべきことに、この凝った「幌システム」を増設してるにも関わらず、トランク



容量は、ごく僅かしか削れていない。 実用度高し。




「フライングB」は、純正オプションもの。










「内装」は、





「タン」コノリー。





新車時のまま、張替え無し。



フロント「シート」形状は、オリジナルに近いが、ここにも、コーチビルドの手が。



2ドアであるから、後ろ席に乗り込むためには、背もたれが前に倒れなければ、で、



シート・サイドのボタンを押すと、ラッチが電動で外れ、前に倒すことができる。




それに伴い、F座面デザインを少し変えてあり、背もたれ後部は、全て、作り



直してある。



だが、座ってみれば、まるで、オリジナルのまま。



リア部は、「シート・デザイン」も含め、全て、「ロバート」のデザインである。



メーカーのカタログ・モデルとして販売しても文句なしの秀作。



空間も座面も広く、大人4人乗り余裕。






ラッキーなことに、新車時「幌カバー」まで残されている。



これがまた、本革なのに、収縮することなく、今でも使える。



自動車自体ともに、バツグンの保管環境で暮らしてきた証拠。




シートに、スレ、ヤレも、ほとんど見受けられない。




幌の内張もキレイだし、「ウッド」も艶々キレイだし、。





内装のパネル類、計器類は、オリジナルのまんま。



現在、「インダッシュナビ」が装着されているが、これは、かなり旧型なので、



「ナビ」として利用は、なにか、携帯とかの新型ナビを頼りにした方がよい。





「機関系」:





伝説の「アルミ合金・100万マイル耐久・V8 エンジン」



シングル「ターボ」、3速コラムAT。




ノーマルのまま。




なので、パーツ確保も整備も楽勝。




「ロバート」は、「デザイン屋」なので、「機械屋」ではない。



英国流に、「餅は餅屋」として住み分け、エンジン製造には 手を出さなかった。




当社整備であるから、、解説不要。




実走: 「46.067km」!




慣らし運転にさえ満たない。




ボディ剛性への拘りは、「ロバート」の真骨頂。



1m以上伸ばしたリムジンのボディが、ヨレないのであるから、2ドア・モデル



など楽勝。



走行中の幌のバタつきも少なく、「コーニッシュ」より優れている。










この「アジュール・スパイダー」



1988年~1991年の間に、いったい何台のオーダーがあったのか公表されていない。



過去に世界中で「売り物」になった情報なども極めて少ない。




アラブ圏の王様たちに渡った個体は、売りに出さないから、今頃、砂漠の砂の中かも



だし、ブルネイの国王も売らない。



売るのは日本人くらいとして、せいぜい、10台あるか、20台ないか? 



ではなかろうか。 このモデルには、「ロールス版」もあったが、それも含めて。




もはや、昔(バブル期)を知るものしか、この「モデル」を知らないだろう。





だが、この「モデル」の価値が認められる日は、きっと来る。



すでに超高額プライスをつけている売り物もあるが、、もう少し先でよかろう。



高額になりすぎると、乗れなくなってしまう。




「ロバート・ジャンケル」師匠が目指した車は、




「頑強でセンスのよい究極の実用車」と心得る。





元来、氏は、頑強なのが大好きだった。





バブル崩壊後、氏は、各国の軍隊、警察、政府機関、超金持ち相手の「装甲車」



ビジネスに乗り出す。 頑強好きの極み。




今度は、この世界(装甲車、戦術車両、サバイバル・ビークル)で、有名となる。



堅調にビジネスを展開していた、その矢先、、





氏に 癌 が 、みつかる、




2005年 5月25日



「ロバート・ジャンケル」は、志半ばで、この世を去る。




享年 67歳








「ロバート・ジャンケル」社は、その後、社名を「JANKEL」グループに替え、



現在も 当時と同じ、ロンドン郊外、サリー州、テムズ川のほとりで、堅実に経営を



続けている。



おそらく、息子さんが後を継いだと思われる。




「パンサー」という商標を、ロバートが亡くなった この年、買い戻したようだが、



その名を持つモデルが作られた形跡はない。







近年(80年代以降)英国コーチビルダーのTOPに君臨した「ロバート」は、



そうして「伝説」となった。




彼が残した「作品」は、その頑強さのお陰で、多くが生き残っている。



その「作品」たちが、時間の経過と共に、「クラシックカー」と名を変えるころ、



もう一度、「ロバート・ジャンケル」の名を世界中のマニアが知ることになるだろう。





「こんな 凄いクルマ 作ったの 誰?」





「ロバート・ジャンケル」の解説文は、これが世界で一番詳しいはずだ、、




これを読んだ方は、私が桃源に旅だったのちにも、語り継いでほしい、、







「それが、ロバート・ジャンケルだ!」 と、、。









                     故「ロバート・ジャンケル」に捧ぐ








後世に残す「113枚」の写真と共に、、