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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

BENTLEY HEADLINE

CONTINENTAL R

 
  AUTO MAKER BENTLEY  
  MODEL CONTINENTAL R 
  YEAR 1994
  EXTERIOR DIAMOND-BLUE -SILVER

(ダイヤモンドブルー・シルバー)
  INTERIOR St-James-Red・ LEATHER 

(セント・ジェームスレッド・レザー)
  PRICE \ ASK 
  MILEAGE 68.345km 
  AMMENITIES





ディーラー車 右ハンドル  



V8  OHV 6747cc  4速フロアAT(スポーツモード付き)ターボ E/G




全長:534cm


全幅:188cm


全高:146cm


重量:2390kg


定員:4人





*装備:



Wエアバック、Fパワーシート+シートヒーター+メモリーシート4人分



+ランバーサポート、オートエアコン、ABS、他








内外装機関ともに走行距離を全く感じさせない超極
上車! 




車検:2年付き渡し


 
  COMMENT



「コンチネンタル・R」!





解説





「コンチネンタル」と「R」両方の名が付くモデルが登場するのは、1952年(〜55年)、



戦後ベントレーの最高傑作にして当時の世界最速(190km超)2ドア4人乗りクーペ



「Rタイプ・コンチネンタル」以来となる




その名に恥じない「高性能2ドア・サルーン」の開発は、1980年の初頭から始まる。


1980年は、「SZ系」モデルを発売した年であるが、、これは、ロールスの毎度のパターン、、


新モデルが完成した直後、もしくは以前から、、継ぎのモデルの開発を始める。




開発期間、通常10年ほど、、



今回の開発モデルの社内コードは「ネパール」、、


この東洋のマイナーな国名を社内コード名にするのも、伝統で、例えば、クラウドは、


「シャム」、シャドウは「チベット」、バンプラ4LRは、「ジャワ」など、、。



ボディデザイナーは、「カマルグ」をピニンファリーナに外注デザインしたように、社外の


デザイナーに協力を仰ぐ。


「インターナショナル・オートモビリア・デザイン」の「ジョン」と「ケン」、、


この2名は、ベントレーに歴史上初めて最先端のコンピューターを駆使した設計、及び実験


に基づく空力を計算しつくしたデザインを取り入れる。





まず、コンセプト・モデルとして



1985年、ジュネーブ・モーターショーで、コンセプト・モデル「プロジェクト90」と


命名されたモデルをお披露目、、。



総グラスファイバーの単なる お披露目モデルであったが、そのデザインは、1955年〜


の「S1コンチネンタル」の現在版というコンセプトで、、確かに、かの名車を彷彿させるも


のがあり、多くの反響を得る。


*個人的には、カマルグを丸くしたような車・という印象だったが、、。




翌「1986年」には、ほぼデザインが完成、これは、「プロジェクト90」の進化型で、


デザインは大幅に変更、、ほぼ発売時と同じデザインという完成度であった。


内装デザインは、最先端では逆に困るため(ロールス・ベントレーのモデルは、スイッチ・


レイアウトのパターンを新型でも、さほど変えないため、古くからのユーザーなら、説明書


なしでも操作に困らない)社内チーフデザイナーである「グラアム・ハル」が担当、、


バッチリ、伝統「ベントレー」の内装に仕上げる。





これもロールス・ベントレー初となる「総スチールのボディパネル」は、カマルグでも依頼


していた下請け「パークシートメタル」社に依頼、、


ただし、ロールス社が要望する精度とクォリティは、他メーカーの依頼では絶対にありえな


いほど厳格で厳密であったという。



更に、ベントレーのパネルを製作してることは社外秘、宣伝に利用してはならず、無論、


製作している工場スペースは、社外の人間に見せてはならない・という条件付きであった。


日本で言うなら、まるで、、現在の御料車「センチェリー・ロイヤル」を製作した関東自動車工


業敷地内の秘密工場、、あそこ、一般人は近づくこともできない。



エンジン・シャーシは、ロールス社で、ボディ溶接・下地作り・塗装・内装造作・仕上げは


、我らが「マリーナ・パークウォード」の職人が担当という分業制であった。






何度もの試作と世界中での試乗テスト(極寒地や熱帯地まで)を繰り返し、、やっと、


1991年5月、ジェネーブのモーターショーで完成品モデルが発表される。


その名が、「コンチネンタル・R」!



「コンチ・・」と「R」、、2つの名が揃うのは、「Rタイプ・コンチ・・」が生産終了し


た1955年以来、実に36年ぶりのことであった。



このWネームが揃えば、世界中のファンが買わないわけにはいかない、、。


国内で、本格的に販売されるようになるのは1992年からのことで、販売時の新車価格:


3950万円(税別)!



しかし、発売年が悪かった1992年は、完全にバブルが崩壊した年である。


それでいて、社用車には使えない2ドアのサルーン、、しかも超高額、、国内で購入できる


方は極限られた方々だけであった。



「コンチネンタル・R」は、2003年末まで生産され、


「ラスト・コーチビルド・モデル」となった。


総生産台数は、特殊モデルを除いて
「1290台」とされる。




注)最新の調査によれば、「1292台」が正解らしい。



1292台の内、右ハンドル:544台



      左ハンドル:748台




コンチRは、98年以降、急激に生産台数(オーダー台数)が減少する。



99年〜03年の間には、32台しかオーダーされていない。



更に、2001年には、5台のみ、2002年には、0台、2003年に1台、、こうして「コンチR」は



終了する。



1292台は、決して多い台数ではないが、それでも、このメーカーにおいては多いほう、、



つまり、惜しくない。



じゃんじゃん乗って楽しんでほしい。







*初めてコーチビルド・モデルを ご検討の方のために念のため、、



ボディワーク(コーチビルド)は、世界一の匠の集団「マリーナパークウォード」。

(下記からMPWに略)



スタンダードボディとは、区別して存在する「コーチビルド・モデル」。


戦前のロールス社のモデルは、全て「コーチビルド」物で、ボディの自社生産はしていなか


った。イギリスでは、機械屋(エンジン屋)とボディ屋は、別と考えられて、住み分けが出


来ていた。




一時は200社以上存在した(*1919年〜1960年の間に名を残すコーチビルダーは


、330社ほどあった)イギリスのコーチビルダーの頂点に君臨する「トップ2」、


名門「HJマリナー」社と「パークウォード」社をロールス社が、完全に手中に収め、合併


させて「マリーナ・パークウォード」社としたのは、1962年、、その後、数々の名車


(コーニッシュ、カマルグ、ファンタム6、コンチネンタル、コンチネンタルR、アズールなど


)を世に送りだしてきたMPWであったが、90年代に入ると本社であるロールス社自身の不


況のあおりを受け、ついには、1992年、伝統のMPWの専用工場(ロンドン郊外 にあっ


たウイルスデンの工場)を閉鎖することになる。



更に、その後の度重なるリストラにより、最盛期500人以上いたMPWの職人は、数十人


規模にまで減ってしまった。


結果、非常に残念ながら、ボディ全体のデザイン、製作から手掛ける、いわゆる「コーチビ


ルドモデル」は、続々と生産中止となり(90年にファンタム6、95年にコーニッシュとコンチ


ネンタル、98年にパークワードリムジンが)、このコンチネンタル・シリーズ(コンチT、


アズール、コンチR、)が、最後のコーチビルド・モデルとなった。




*現在のMPWは、、、



「マリナー」のみの名称となり、VWグループが50億ポンドもの投資をし新たに生まれ変わ


った「クルー工場」の一角で、スペシャル・オーダー部門として存在している。


世界中の わがままな顧客からの如何様な注文にも応じる。



日本でも、ディーラーで対応できないほど大掛かり、 もしくは 逆に細かすぎるスペシャル



・オーダーとなると、クルーの「MPW」へ出向き、直接オーダーするしかない。




条件は、「基本構造に影響がない」こと



それでなければ、むちゃなワンメイクのオーダーにも答え、実際に、その車は作られている



金に糸目さえつけなければ、技術的に不可能なものは、ほとんどない・という。



総勢130人(92年以降の一時期40人ほどにまで減っていたはずであるから、また、90人


ほど再雇用したものと思われる)、


もちろん、製造ラインなど存在しない。


カタログモデルとして販売する「コーチビルドモデル」は生産していない。


だが、量産さえできないものの、彼らの「腕」は、今でも、完全なコーチビルドモデルを作


り出すことはできる。



2002年に製造したエリザベス女王の専用車・ベントレー「ステート・リムジン」は、


「マリナー」の職人による作品だ。


いつの日にか、また、完全なる「MPW」のコーチビルド・モデルが


販売されることを願う、、。





1998年以降は、「マリナー」と「パークウォード」の名を「ブランド化」し、


「マリナー」をベントレーのスペシャル仕様に「パークウォード」をロールス・ロイスのス


ペシャル仕様・・と分ける、、、、



結果「マリナーパークウォード」のWネームは使われなく、、ドアを開けたステップ部に張


られた


「Coachbuld By Mullner Parkward」
の見慣れたシルバープ



レートは、97年モデルまでで最後となった。


98年以降は「BENTLEY」のプレートが張られる。


MPWファンにとっては、このMPWプレートが張られなくなったのは、非常に残念なこと


である。


現在の「コンチGTマリナー」などは、ブランド名であってMPWの職人が作っているわけ



ではない。





話を戻そう、、





発売前から某有名誌で



「また1台、疑いなく将来、伝説的な名車になるであろう車が生まれた」



と言わしめた「コンチネンタルR」であるが、、


新車価格が、いかんせん高額すぎた、、


発売時のディーラー:車輌本体価格:41.475.000円(税込みなら)


これでは、いくら名車でも、おいそれと購入できる金額ではない。






コンチRは、何度も価格改正された。


コンチネンタルR新車価格変更の一部、



92年 41.475.000円(税込み)


96年 34.650.000円


97年 37.275.000円


98年 40.950.000円


99年 39.900.000円


01年 37.275.000円



と、上記のように、変動(これは生産コストの問題ではなく、為替の関係によるものと思わ


れる)し、一番高い時と安い時の差額が、実に680万円もある。


まっ、どちらにしても高額、、。




コンチRのメカニズムは、基本、同年の「ターボR」と同じと思ってよいが、、、


むしろ、ターボRの方が、コンチRの進化に伴う・・と、捉えた方が正しいかもしれない。


なにせ、92年に初めて「フロア・シフト」を採用したのは、コンチR、、


ターボRの92年モデルは、まだ、ロールスと同じ、コラム・シフトであった。


ターボRも93年から、フロア・シフトとなり、94年には、コンチRと同じく、


ボンネット上のセンターモールを無くす、、、完全にコンチRの 後追いである。




コンチRのメカニズムは、「毎年改良を加える」・・ロールス社の伝統にそって、進化が繰


り返される。


92年と93年の違いは、外見では、アルミホイール・デザインの変更,他



であったが、当個体の、94年モデルになると機関系が大幅バージョンUPされる。



*Wエアバックの採用も この年から。



94年から「ダイレクト・イグニッション・システム」が採用される。



プラグ・コードはなくなり、プラグには直接火花が飛ぶ。



これにより、コードの劣化に伴う不均等な点火はなくなり、8気筒全てに均等に適切な



点火ができるようになった。



つまり、エンジンの性能をMAX引き出し、燃費向上にも役立っている。



これは、ロールス社的には、大改良、歴史上初の採用で、「スパー2」が「スパー3」になる



注)



とはいえ、乗って違いは、、微妙



オーナー様の立場から考えるなら、メカ的には進化しているので、気が楽、、



そう思っていただければ、、である。




ベントレーの魅力は、数字や性能など、、ほんの一部の評価対象に過ぎないのだ。






メーカー自身も良く分かっていて、この時代(95年まで)、馬力、トルクなどの数値を


一切 公表していなかった。



馬力・トルクは、「必要にして十分」、、、これがカッコよかった。


戦後すぐ・の話ではない、、90年代だというのに、スペックは非公開、、こんなメーカー


が他にあっただろうか、、4千万円も出すのに、、、それを理解して購入したユーザー様は


、もっとカッコいい、、。



お気ずきになった方もいらっしゃるであろうが、当個体の全長は、「534cm」と記(車


検上なっている)。



当社HP、他のコンチRで記しているディーラー物・コンチRの車検証上の全長は、


95年で「535cm」になり、96年〜で「537cm」となる、、?


答えは、陸運局での計り間違いであろうが、、



正解には、


92年から96年の間のボディは、まったく同じもの=サイズも同じ。


「534cm」が、ほぼ実寸、、


97年〜モデルは、ボディが違う。


写真で見ていただければ分かりやすいが、、


96年までの、前後バンパー廻り、、フェンダー(ボディ)がバンパー、一部を一体で構成


している。  もの凄く お金が掛かっている凝った作り込み、、素晴らしい!


97年以降モデルから、この凝った作りをやめ、前後バンパーは、完全にボディとは別の


一体物となる。  残念ながらコストダウン、、。


しかし、97’以降モデル、、実寸を測ると、やはり、534cmくらいしかない。



96年以前モデルに乗る方、、、このボディの作り・は自慢できる。










さて、当個体の お話





94年モデル・ディーラー車・右ハンドル



コンチSCの下取りでいただいた。



某有名自動車クラブの会長様が長く ご所有されていた個体だ。



「コンチSC」を最後のクルマにしよう と おっしゃっていたのは、、眉唾ものだが、、。



会長様は、日本を代表すると言っても過言ではないエンスージェストであるが、



その方をもってして、最後は「ベントレー」にいきついたというのは、ベントレー・ファンと



しても ありがたい。



当個体を頂いたのは、もう随分前なのであるが、仕上げ = 「シーザー認定中古車」とする



過程に時間がかかってしまった。



実は、まだ機関的には手を入れる箇所が残っているが、、まっ それは、納車整備でも診るから


同じこと。










外装は、「ダイヤモンド・ブルー・シルバー」



コキズなどは、すでにリペア済み。



◎コンディション。






内装は、「セント・ジェームズ・レッド」



内装レザーもリペア済み。



◎コンディション。オリジナル・コノリーが、美しい。




機関系は、お任せを!




総輸入比率が、左H 9 に対して、右Hは、1


右ハンドルは、珍しいのだ。



その理由は、



クルマ好きが最後に行きつくのが、ロールス&ベントレーというクルマ、、



たどり着くまでに、ありとあらゆる外車(左ハンドル)に乗り継いできたわけで、



例えば、左Hばかり30年とか、、そうなると、慣れていない 右Hは買わない。


つまり、新車をオーダーする時点の比率から 9:1 なのだ。









「MPW」の2ドア・モデル



間違い事実が 一つだけである。



過去に生産された「MPW」物2ドア・モデルで、値上がりしなかったモデルは、1台もない



ということ。



もちろん、それは、「クラシック・カー」と呼ばれるようになってから。



多くのモデルが、いまや 高嶺の花




コンチRの始祖 「Rタイプ・コンチネンタル」HJマリナー・クーペは、当時の「コンチR」



であるが、今現在、100万ユーロ相場(1億円台)



安いのは、「中古車」のうちだけ、、



この車が、「クラシックカー」と呼ばれるころには、もう手が出ない。



それが、いまなら、普通の国産車級の お値段、、高級な国産車は買えない お値段。



いま乗るのが、世渡り上手ってもん。



冗談のような お値段であるが、その「価値」と満足度は、いまなお、4千万円級!



現行モデルの、どんな新車にでも負けようがない圧巻のクオリティ!




こんな費用対効果に優れた個体も珍しい。




私が推奨する「乗らずに死ねるか」シリーズ中の1台




間違いがない、、。









まずは、お写真 51枚を ご参考に ご検討のほど。