| 1; ロールスとベントレーの違い |
| 一言 : 1931年にロールス社がレースで有名だったベントレー社を買収、その後はコンセプトが違うだけで、グリル違いの同じ様な車。セドリックとグロリアの違いの様だがマニア的には全然違うのである。 |
| 解説 生いたち(歴史)の違う車(メーカー)な為に若干、双方の会社の歴史を知る必要が有る。 |
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ロールス・ロイスは1904年、チャールズ・スチュワート・ロールス(1877’〜1910’)とフレデリック・ヘンリー・ロイス(1863’〜1933’)によって創業。ロールス氏は、裕福な貴族のご子息で、ありとあらゆるスポーツと冒険を愛し、レースと飛行機に没頭する日々。その上、知人はお金持ちばかり、スポンサー兼、宣伝部長といった感じか? ライト兄弟とも親交のあった彼は1910年に自分が操る飛行機事故で撃死してしまう。 |
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ロイス氏は貧しき粉引きの息子で、努力に努力を重ねた末、ほとんど独学で技術を修得。叩き上げの技術者で若い頃蒸気機関を勉強した事が、後の自動車作りに役立つ。事実、シルバーゴースト(1906〜)の7、000cc以上も有るその巨大なエンジンを見ると、なるほど蒸気機関車の様だ。 |
| この二人の目指した車は音も無く静かに動き、可能であれば永久に壊れないエンジンを積む車だった。これらの発想上、最高の技術と最高の材料を与えられたこの車は恐ろしく高額な車となったのは言うまでもない。当然、購入出来る人は限られたが世界中のマーケットで見れば十分な市場があった時代だ。初期のシルバーゴーストでそのクオリティの高さが世界中のVIPに評価され地位と名声を確保する。余談だが、かのアラビアのローレンスも「砂漠の砂作戦」にシルバーゴーストを使用し、その勝利に大きく貢献した。ローレンスは晩年になり今何が一番欲しいという質問にこう答えているのは有名だ。「一台のシルバーゴーストと一生分のタイヤ」と。勿論、一般的にはエンジンの性格上スピードレースに使用する車ではなく購入出きる人は金持ちで運転手を抱えていて当たり前、どうしてもボディをリムジンに加装するオーナーが多くなる。ロールス・ロイス社が自社でボディまで作り始める(コーチビルドモデルは別)のは、第二次世界大戦後シルバードーン(厳密にはベントレーマーク6)からの事で大戦前はオーナーの好みにより各コーチビルダーによって如何様な型のボディでも組み合わせるが出来た。この運転手付きで後に乗る車のイメージを現在まで継承する事になる。もっとも当時から「粋」なオーナーはこの巨大で高額な車を2ドアのオープンカーに加装した例も多いから、後に乗らなきゃダメな車ではない。 | ![]() |
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ベントレー社は1919年(発売は1921年)ウォルター・オーエン・ベントレー(1888’〜1971’)によって創業。ロールス・ロイス同様こちらも創業者の名前。W.Oベントレーもまた若い頃蒸気機関車工場にて勉強・修業している。ロイス氏同様、蒸気機関から始めた人間の作るエンジンは、どうしても巨大になる様だ。ベントレーも巨大な車だったが、ロイスとの違いはスピードを求めた事で、このコンセプトの違いが今日のロールス・ロイスとベントレーのコンセプトととして受け継がれる事となる1921年から1931年にロールス社に買収されるまで僅か3048台の車しか作っていないが、その間に「ル・マン」で5度も優勝している。 しかも全ての新車は5年間の保証期間付きで販売され、基本的にその間にトラブルなど有ろうはずがない程、当時としては画期的なエンジンだった。ちなみにロールス社がベントレー社を買収したのは他のメーカー(本来はネイピア社に買収されるはずだった)に買収されれば最大のライバルになると、この当時、既に天下のロールス社が恐れた為で、それ程ベントレーも凄かったといえる。ベントレー氏は1935年にロールス社からの「人質」から逃れた後、驚異的なV12エンジンや「かの有名な」アストン・マーティンのDBシリーズの6気筒エンジンの基礎になるエンジンを設計、同社に輝かしい栄光を与える事となる。よって私の様なベントレーファンはアストン・マーティンもちょっと好きだったりする訳である。特にDB6までの6気筒が・・・。 W.oベントレー氏は1971年8月に82歳の生涯を閉じるわけだが、そんなに昔の話ではないのでどなたか日本人でお会いになった方もいらっしゃるのではないだろうか?いらっしゃったら是非教えて頂きたい。 |
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まとめますと |
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