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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

CAESAR COLLECTIONSHEADLINE

RILEY

 
  AUTO MAKER RILEY 
  MODEL RMF 
  YEAR 1953
  EXTERIOR BLACK/IVORY COMB

(ブラック/アイボリー)
  INTERIOR BEIGE LEATHER/GREEN PIPING 

(ベージュ・レザー/グリーン・パイピング)
  PRICE \ ASK
  MILEAGE -
  AMMENITIES


本国仕様 右ハンドル (国内・平成18年登録)国内1オーナー


ツインカム OHV 2.5L(2443cc)



4速フロア・マニュアル




100馬力



最高速:150km



全長:472cm


全幅:160cm


全高:153cm


車両重量:1490kg


乗車定員:5人




内外装レストア済みに付き極美、機関当社にて完全整備渡し、超極上車!



車検:2年付き渡し

  COMMENT


ライレー 「RM・F」サルーン


変り種モデル好きの 当社にも初入庫となる ライレー社のピュア・モデル「RM」シ

リーズの「F」!

ライレーが、バッジ・エンジニアリングでなく、自社でボディ・エンジンまで製造・販

売した最後のモデルが「RM」シリーズである。


ライレー社は、1890年に自転車屋から始まるイギリスでも老舗の名門メーカー。

1905年には、最初の自動車を製造し、一般的には、この年をライレー社の始まりと

する。

その後、「ファルコン」や「ケストレル」、「ブルックランズ」などの名車を生み出し

、その地位を固める。

ライレーを象徴するエンブレム「ブルー・ダイヤモンド」は、1918年から採用。

しかし、ライレーの会社自体の運命は、多くのイギリス自動車メーカーが そうであっ

たように波乱万丈となる。

ライレーの最初の間違いは、「ロールス・ロイス」に 挑もうとしたことであろう。

調子に乗りすぎ、、



1920年代の後半、ライレーは、新設計 ツインカム・OHV V8エンジンを積む

 超大型高級リムジン「AUTOVIA」の製造に乗り出す。

流石に、ロールス・ロイスの頂点モデル「ファンタム」に挑むのではなく、「20/

25」クラスのロールス・モデルに対抗できうるモデルの開発を進めたのである。

結果、開発コストはかさみつづけ、経営を圧迫していく。

このモデルは、35台しか売れていない。



最終的には、事実上の倒産、

1938年に「ナッフィールド」グリープに組み込まれた。

その後も、このブランドの所有者は、3度も変わる。

ここは、いらない知識なので、割愛。



当「RM」というモデルに お話を集中しよう。

登場は、1945年 9月

まったくの新設計ボディ、新設計エンジンを積む高性能モデル。

ここが興味深い。

戦後間もないどころか、終戦の月だ。(イギリスの終戦日は、9月2日)



「ライレー」社の工場は、「コヴェントリー」にあり、ここは、工場地帯で、ドイツの

空襲で被害も甚大だった場所。 実際に空襲を受けたのは、44年までであろうが、、

いくらなんでも発売が早い。

ライレー社は、戦時中も、開発を重ねていたのである。

最初に販売されたのは、

「RM・A」というモデルで、排気量は、1.5L

このシリーズが「A」から「F」まで進化していく。

一覧で見てみよう。



モデル    生産年      排気量    生産台数


・「RM・A」  45’〜52’    1.5L   10.504台

・「RM・B」  46’〜52’    2.5L    6.900台

・「RM・C」  48’〜50’    2.5L     507台

・「RM・D」  49’〜50’    2.5L     503台

・「RM・E」  52’〜55’    1.5L    3.446台

・「RM・F」  52’〜53’    2.5L    1.050台



こうしてみると分かりずらいが、実は、モデル分けは簡単。

「C」は、ロードスター・モデル

「D」は、ドロップ・ヘッド・モデル


そして、エンジンは、2種類のみ。

「1.5L」の「A」がモデル・チェンジで、「E」に。

「2.5L」の「B」がモデル・チェンジで、当「F」になったのだ。


「2.5L」モデルは、「1.5L」より、ロング・ホイールベースで、最高速も150kmに

達する立派な高性能サルーンであった。

「RM」モデルは、そのボディ構造も凝っている。

当時の車の多くがそうであったように、スチール製のシャーシ&ボディ構造であるが、

基本構造と関係ない部分では、ウッドが多様されている。

戦前さながら、しびれる職人仕事である。

が、この贅沢で凝った作りが災いする。

1952年、またも所属する「ナッフィールド」は、「オースチン」グリープと合併、

、「BMC」グループに一員となる。

多くのブランドを抱える、この巨大化したグループは、合理化を進める。

残念ながら、コストのかかる「RM」の生産中止は、まもなく 下された。


「2.5L」モデルは、当「RMF」の1953年が最終モデル。

「1.5L」は、かろうじて、55年まで生産された。


*諸説あるが、1953年から1957年の間に生産されたライレーの「パスファイン

ダー」というモデルを

「RMH」としてモデルに加えてある解説書もある。

が、私は、入れないほうが分かりやすいと考えている。

あの車は、たしかにライレーの「2.5Lエンジンを積んではいるが、ボディは、まった

く「RM」シリーズとは、似ても似つかない。あのボディは、ライレーのというより、

「BMC」の、、だ。

1957年以降は、「ウーズレー」が、そのボディを使うことになるし、、。

最後「ピュア・ライレー」は、やはり、当「RM・F」及び「RM・E」で

間違いない。



ライレーは、この後、ただの「ブランド」となる。

「BMC」から、その所有者が、「ブリテッシュ・レイランド」に変わっても、「ライ

レー」の名は残った。

60年代には、有名なADO16のバッジ・エンジニア・モデルが大量に販売されたので

、今日でも

「ライレー」モデルを見かけることはある。

「ADO16」のバッジ・エンジニアリング(同じシャーシを複数のブランドが共有して

販売する)に参加していたのは、5社

一番の廉価版が、「モーリス」

スポーティ版が、「MG」

ついで、「ウーズレー」と「ライレー」が、高級版

最高級版が、「ヴァンデンプラ」

最後まで、「ライレー」の格は残っていた。


1969年、、「ライレー」の名は歴史から消える。

現在、「ライレー」ブランドの商標は、「BMW」が所有しているが、いまのところ、

その名を復活させる気配はないようだ。



さて、当個体の お話

平成18年に国内登録された本国仕様の右ハンドル。


国内1オーナー。

内外装は、完全にレストア済み。

塗装も、

内装レザーも張替え、

カーペットも張替え、

大変キレイである。


当社入庫時、塗装一部に、いまいちの箇所があったので、その箇所は、再ペイントしな

おした。

外装も万全だ。

1953年7月 製造。

まさに、最後の生産イヤーだ。

機関系にも、日本で手が入っている。

ヘッド・オーバーホール

点火系一式交換

キャブ・オーバーホール

フューエル・ポンプ交換

などなど、、

現在も 普通に走行する。

「2.5L」モデルは、当時、数々のラリーで優秀な成績を収めていたほど、頑丈で速い

モデルなのである。


もっとも、機関系は、見なくても問題ない。

どのみち、ご納車時には、当社「シーザー・ファクトリー」で、1ケ月以上をかけて、

徹底的に整備する。


しかし、この個体、、色がいい!

外色の「ブラック」と「アイボリー」のコンビかげんは、いかにもノスタルジック、。

内装も◎

「ベイジュ」の本革に、グリーンのパイピング とくる。




計器類も 大変面白い。

ずらりと並んだスイッチ類には、なんとも心躍らされる。

シートポジションも悪くない、室内空間も十分に広い。

乗るのも簡単。

トルクもあるので、エンストしずらい。

マニュアル車が乗れる方なら、誰にでも乗れる。

おそらく、練習も必要ない。


まっ、

あとは、実車を見ていただいた方が、早かろう、、

とっ

その前に、下記より、写真57枚を↓ご参考に!


本物の「ライレー」を持ちたきゃ これしかない。