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RollsRoyce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

CAESAR COLLECTIONSHEADLINE

LOTUS

 

 AUTOMAKER
LOTUS
  MODEL EUROPA-SPL
  YEAR 1972
  EXTERIOR LOGOON-BLUE


(ラグーン・ブルー)
  INTERIOR BEIGE

(ベイジュ)
  PRICE \ ASK 
  MILEAGE
  AMMENITIES



北米仕様 左ハンドル




国内93年登録
  






水冷 直列4気筒 DOHC 1558cc



4速MT





馬力  :126ps/6500rpm



トルク :15.6kgm/5500rpm




全長:396cm


全幅:163cm


全高:108cm


車輌重量:730kg


定員:2名







*インダッシュHDDナビ&地デジTV



*バックカメラ



*ETC車載器






内外装レストア済み、超極上車!



車検:平成30年12月6日


 
  COMMENT




 「ヨーロッパ・スペシャル」







ロータス「ヨーロッパ」の最終進化系・ビックバルブ「スペシャル」






趣味で、漫画「サーキットの狼」ごっこ(劇中の登場車集め)をやっていた




流れで、仕入れてきたのが、当個体である。




しかし、すっかり はまってしまった。







まずは、「ロータス」というメーカーを ざっくり おさらいしておこう。






創業者は、「アンソニー・コーリン・ブルース・チャプマン」。




1928年生まれの彼は、自動車好きで、大戦直後に入学したロンドン大学在学中




に早くも中古車売買のビジネスを始める。




自動車メーカーが、車を生産できてなかったことに目をつけ、飛ぶように




売れた という。 彼は優秀な商人であった。




しかし、やがて自動車メーカーの車生産が再開すると、ビジネスを撤退する




ことに、、この時、最後に1台の車が売れ残った。




ぼろい30年式「オースチン・セブン」 




彼は、この車をレースカーに改造する。




完成した車は、「ロータス・マーク1」と名づけ、レースに参戦、




連戦連勝の圧倒的速さを誇ったという。 この車が、ロータスの1号車だ。



*「LOUTS」は、彼女(後の嫁)のあだ名(蓮の花)




チャプマンとロータスの名は、瞬く間に英国中に知れ渡り、「俺の車も



作ってくれ」という依頼が殺到。 




一時は大学卒業後、空軍を経て、サラリーマンをしていたチャプマンも、



会社を退社し、



1952年 ロータス・エンジニア社を設立。



ここからが、「ロータス」の始まりだ。







1953年には、初の自社製キットカー「マーク6」を販売。



1957年には、「マーク6」の後継モデル「セブン」と「エリート」を発売。



「セブン」は、ご存知のとおり、世界中で大ヒット、一方「エリート」も



FRPモノコック・ボディという画期的構造で、技術力でも その名を売る



ことになる。






「エリート」は、当時僅かに新車が輸入されたが、そのオーナーには、



本田宗一郎氏も名を連ねていた。そして、分解研究され、参考にして生まれた



クルマが、ホンダ「S600」である。






1962年には、今尚評価の高い「エラン」投入。



このモデルは、豊田さんが購入し、分解研究、、参考にして生まれたクルマが




トヨタ「2000GT」である。






こうして英国内では、そこそこ一流企業へと上り詰めた「チャプマン」が、




次に世界進出するために作ったクルマこそ、「ヨーロッパ」である。




63年に「エリート」を生産中止した後のロータスのモデル・ラインナップは、




「7」「エラン」「コルティナ」のみ、、もう1台ミドルクラスのモデルが



必要でもあった。




チャプマンの閃きは、突然だった。




1963年某日、エランのデザイナー「ロン・ヒックマン」が、ささっと書いた



1枚のデッサン画、、それは、FORDと「GT40」の開発パートナーになる



ために即興で描いたものだったが、、




そのスケッチを見たチャプマンは即決、、次世代モデル作りが始まる。




こうしてロータスが描いた「GT40」は、「ヨーロッパ」という車になる。



*このデッサン画は、いまも残されていて、見ると確かにヨーロッパだ。








その名が示すとおり、はなから「ヨーロッパ」向けモデル。




まずは、大陸市場、そして、最後には、北米市場を狙おうという野望を秘めた



モデルであった。




で、初期モデルでは「右ハンドル」は作ってもいない。




使用されたエンジンは、おフランスの「ルノー」製。




オールアルミのOHV 4気筒 1470cc



軽量で、低重心、でんぐり返して積み込めば、ミドシップにピッタリと理想的




なエンジンではあったが、「ルノー」がエンジン供給の替わりに提示した条件




が、「最初の500台はフランス国内のディーラーでのみ販売すること」




一見、図々しい条件であるが、ロータスにとっては渡りに船、、大陸で販売



するためには、ディーラー拠点の多い「ルノー」製のがメンテンス性において



有利だったからだ。




では、「ヨーロッパ」の系譜を まとめてみよう。





1966年 デビュー




「タイプ46」
 *「S1」



前述のルノー製4気筒 1.5L 78馬力



ウインドはアクリルのハメ殺し、、シートも固定式







「タイプ47」
66’〜68’



プロモーション用のグループ4カー ロータス&コスワース・エンジン165馬力






1968年〜71年 




「タイプ54」
 *「S2」



エンジンは変わらず、パワーウインドにウッドパネル、シートレールも動く




ようになった ちょいと豪華版







1970年〜71年 




「タイプ65」





北米仕様 左ハンドル 




*世界で売り出した後、やっと自国用 右ハンドルも生産








1971年〜72年




「タイプ74」ツインカム






やっと、パワーUP!エンジンがルノーからロータスの1558cc ツインカムに




105馬力を発生







1972年〜75年 最終モデル





「タイプ74」スペシャル *ビックバルブ




最終進化系最強モデル  ロータス 水冷4気筒DOHC 1558cc  126馬力








当個体は、この「タイプ74・スペシャル」だ。




このモデルをもって「ヨーロッパ」は完成の域に達する。




総生産台数は、3200台とシリーズ中最高に売れたモデルでもある。








「ヨーロッパ」というモデルは、その昔「カーグラ」の長期テスト・モデルに



採用され、小林彰太郎先生による体験記を近年読んでいた程度の知識しかなか



ったが、それが強烈で、今一度読み返してみた。




やはり、そこには全てが書かれていた。




印象に残る文を引用して一覧にしてみる、、。





*因みにテスト車は、日本に最初に輸入された2台の「S1」のうちの1台で



 1967年モデル、、シリーズ中 もっとも扱いずらいとされるモデルである。







*「運転姿勢は、実によい。中略、長時間乗り継いでも疲労を覚えず」





*「無類に 低い ということを除けば、99% 完全な2座実用車である」




*「180km以上でも、車内では、普通の声で話ができる」




*「冨士スピードウェイのストレートで、二人乗りで、200kmを超えた」




*「操縦性は、端的に言って バツグンで、およそ、ステアリングの操作に



  
  腕力というものは不要だ」




*「自動車とは、かくも速くコーナーを回るものかと言う事を、



  
  国産車の設計技術者は少なくても 1年に1度 ロータスのステアリング



  を握って体験してほしいものだ」





*「etcの不安は、ロータスの類なき操縦性を満喫するためなら、



 
  実は、なんでもないことなのだ」







もはや、付け加えることはない。こいつが、「ヨーロッパ」というモデルだ。



しかも、うちのは、もっとも快適で更にパワーのある「スペシャル」。













では、当個体の お話:





1973年モデル 「スペシャル」 



北米仕様の中古平行 左ハンドル 国内登録 1993年 







正直、まともな個体の少ない「ヨーロッパ」の中で、おおっ という個体を




見つけてしまったから、もういけない、、つい出来心で、外装オールペイント



、内装も新品張り替えしてしまった。、、完成に1年以上を要した。




当個体には、オリジナルのプレート(ボンネットの中やグローグBOX内、



エンジンルーム内など)が全て残されている。




元カラーも そのプレートがあれば分かる。





VIN: 72052334R






最初の4桁が製造年月日 = 1972年 5月製造。 



2334は、通しナンバー。



R = 北米仕様




カラーNO’:LO12 = ラグーン・ブルー 元色だ。




オールペイント時、キモも押さえている。




「ヨーロッパ」のボディにおける欠点、それは、ドア・ヒンジ、、




ドアヒンジが、1本棒であるから、ドアのチリ調整に限度がある。




だから、ほとんどの「ヨーロッパ」は、ドアのチリが合ってない。




これには、対策パーツが出ている。上下 2ケ所のヒンジ。




これに交換しておけば、普通の車と同じとなる。




が、施工は大変、、ボディに一度 穴を開けないと取り付けられない




という品物。  交換済みだ。






機関系は、入庫時、すでに各所に手が入っていた。




よく整備されていて、エンジンルーム自体がキレイだ。




2つのブレーキ・マスターバックも新品のようだ。



そして、なにより良いと思ったのは、



キャブレターの変更。




北米仕様のオリジナルは、「ゼニス・ストロンバーグ175CD2S」であるが、




これは、当時の排ガス対策用(欧米仕様は、デロルト製)キャブ、、




変えたくなるのが普通であるが、交換するには、そこそこの費用を要する。





「ウェーバー」あたりに交換するのがパターンだが、当個体は、もっと整備性




のよい 我らが「日立」製SUツインに交換してある。




日立を舐めてはいけない。 *私は、日立家電屋の息子だし。




メイド・イン・ジャパンの信頼度は高い。




その昔、ニッサンの高性能モデルは、ほとんど「日立のSUツイン」が標準



だった。




L型エンジンを積む、フェアレディ「240Z」も「セドリック」も「スカイラ



イン」も「ブルーバード」も、A型エンジンの「サニー」に「チェリー」も



トヨタでも、「クラウン」や「コロナ・マーク2」、三菱の「ギャランGTO」



も、、書き出せばキリがないほど、「日立のSUツイン」を採用していた。




つまりは、整備性と信頼度は極めて高い。



これなら、全国どこの工場でも、オヤジさえいればメンテできる。







乗ってみた:




いくら最強のスペシャルと言えど、たかだか126馬力、、なめていた、、




クラッチの繋がりは独特で、急加速をするなら簡単だが、ゆ〜くり発進させる



なら、練習がいる。 10回ほどだか。




走り出せば、、予想外に速い。 私には これ以上は無理、操れない。



1.6Lの4気筒で、この加速感、、これが、ヨーロッパSPLか、、。



なにより、はまってしまうのは、やはり、ハンドリング、、




初めて乗ったものは、皆 ビックリするだろう。




ちょっと他にない。




僅かにステアリングを切ると スパッと車が移動する。




慣れてきてステアリングの切れ加減が分かって来ると、、例えば



隣の車線に瞬間移動できる。恐ろしいほどの速さで、なのだが、およそ恐怖感



はない。それほど安定している。 自分の運転技術が上がったかの錯覚。




コーナーでは、なんの技術も無しに クンッと鼻が入り、そのまま勝手に



コーナリングしていく。 こりゃ気持ちいい!




ミドシップで最強「SPL」を持ってしても車重は、僅かに「730kg」



クルマを操る とは、こういうことか と実感できる。



もう少し慣れてくると、コーナーに 突っ込むスピードも上がってくる。



今度は、もう少しヨーロッパ乗り風に、、タイヤの限界と相談しながら、



アクセル・ワーク、、これが楽しい。



この誘惑のアクセルワークに、異例なまでのショート・シフトに やられる。




それに エンジンも好いわ。




屈強なFORDベースのロータスDOHC、、ヨーロッパは、これが似合う。





試乗時、たまたま「スーパー7」、「ヨーロッパ」、「エスプリ」と




ロータスの歴史が分かる3兄弟の在庫があったので、乗り比べてみたが、




ハンドリングのシャープさは、ヨーロッパが郡を抜いていた。




漫画のように、コーナーでは73’カレラにも勝てるかもしれない、、




もちろん、総合的には負けるだろうが、、峠道ならキングになれそうだ。




しかも、こちらの価格は、10分の1以下。




人生の中で、一度は体験することを お薦めできる1台。







「73’カレラ」と並べてみたかっただけなのに、、



これほど、面白いクルマとは想像していなかった。




これは、小林先生も絶賛するはずだわ、、。







好い意味で想像を裏切られたわけだが、




これほど、気持ちの好い裏切りは、はじめてかもしれない。








生みの親「コーリン・チャプマン」は、1982年、若干54歳の若さで、




この世を去る。





「ヨーロッパSPL」は、彼の最高の自慢であろう。




そして、彼の名は 永久に語り継がれる。




名車「ヨーロッパ」の 生みの親として、、。










まずは、下記より、写真 61枚を ご参考に ↓