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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

CAESAR COLLECTIONSHEADLINE

DELOREAN

  MAKER DELOREAN 
  MODEL DMC-12
  YEAR 1981' 初期モデル
  EXTERIOR

STAINLESS



(ステンレス・スティール グレード304)


  INTERIOR BLACK- LEATHER
 

(レッド・レザー)
  PRICE \ ASK
  MILEAGE 2.995マイル = 4.792km
  AMMENITIES



本国(US)仕様 左ハンドル
 





(1981年 製造モデル 国内登録 1991年3月)





V型90° 6気筒 OHC 2849cc (ブロック&ヘッドはアルミ製)





オプションの「3速フロアAT」


 





馬力:130ps  /5500rpm



トルク:22.9kgm /3000rpm




最高速:209km







全長:420cm



全幅:185cm



全高:114cm



車両重量:1280kg



定員:2人







装備:




・「パワーウインド」


・「エアコン」


・「純正アルミホイール」





オプション装備:




・「メーカー純正:パワステ」



・「3速AT」





後付け装備(国内にて)




・「カロ・HDDインダッシュ・ナビ・地デジ」



・「ETC車載器」



・「ブルーLED室内照明」










内外装機関共に、超極上車。 




車検:2021年 9月24日まで 


 
  COMMENT




「デロリアン」!



「DMC-12」









長年探し続けていた「初期型デロリアン」!



ついにGETだぜっ!



デロリアンは、初期ものがベストなわけだが、その前に、まずが、「デロリアン」の生い立ち



から物語を始めよう。




1975年創業:「デロリアン・モーター・カンパニー」(*DMCに略)



創業者:「ジョン・Z・デロリアン」




この世にも奇妙なクルマは、この どうかしてる男の人生そのものである。



1925年 デトロイト生まれ



父は「ルーマニア人」、母は、「ハンガリー人」



父親は、FORD勤務、母親は、「GM」勤務の自動車一家だったが、移民ということで



決して裕福な家庭ではなかった。



彼は、奨学金を得て、工科大学でMBA取得



「クライスラー」「パッカード」を経て



1956年 「GM」に入社



すぐに頭角を現し、最年少でチーフ・エンジニアに



40歳のときに、かの「ポンティアック・GTO」1964年



を生み出す。



「ファイヤーバード」も彼のアイデア、




業績が認められ




1965年: 「ポンティアック」責任者に



1969年: 「シボレー」責任者に




1973年: 「GM」退社



1975年: 「DMC」設立




彼自身の「夢のクルマ」の開発が始まる。




これが実に「ワールドワイド」!




参加メンバーが 豪華絢爛!




・本社は:



アメリカ、デトロイト



・デザインは:



イタリアの「ジョルジェット・ジウジアーロ」が担当!




・メカニカルは:



イギリスの「ロータス・カーズ」社



・エンジンは:



ヨーロッパ連合の「プジョー」「ルノー」「ボルボ」共同開発エンジン



供給工場は、「フランス」




・製造工場は、



北アイルランド





、、無茶苦茶である。





かくして、この世界連合軍で1台の車が完成する。



それが、「デロリアン」社、最初で最後の販売モデル「DMC−12」である。




デザインは、さすがの「ジウジアーロ」




このデザインは、私の中の「ジウジアーロ」傑作「5選」に入る。



「デロリアン」以外の「4選」は、




・マセラティ「ギブリ」



・BMW「M1」



・デトマソ「マングスタ」



・マセラティ3代目「ロワイヤル」、もしくは、「メラク」




どちらにしても、間違いなく、「DMC-12」は、ジウジアーロの代表作である。





機関系は、さすがの「ロータス」社




X型スティール・フレームは、エポキシ塗装で保護され、その上に、ファイバーボディを



載せ、その上から、「ステンレス・ボディ」をボルト締めするという特異な構造。




足回りは、




F:Wウィシュボーン式コイルスプリング、スタビライザー付き



R:トレーディングアーム式コイルスプリング



4輪ディスク・ブレーキ




ホイールは、




F: 14インチ 6J


R: 15インチ 8J





ある種の「ハンドリング By ロータス」なのである。








エンジンは、





「ルノー」「プジョー」「ボルボ」共同開発 



頭文字をとって「PRVエンジン」



最初は、ボルボ「264」に搭載され、各モデルに、



その後は、「プジョー604」「ルノー」各モデル、



アメ車でも、88’〜92’「イーグル・プレミア」、90’〜92’「ダッジ・モナコ」などに搭載され



たが、有名なところでは



92’~ ランチア「テーマV6」


76’~ アルピーヌ・ルノー「A310」


などなど




このエンジンは、耐久性こそ命 の「ボルボ」がかんでいるので、その耐久性には定評がある



しかも、いまでも世界中で走ってる量産エンジンなので、パーツ供給にも困らない。





「DMC-12」は、基本「5速MT」で販売されたが、有料オプションで



「3速AT」の選択もできた。



当初、「スポーツカー」のイメージで売り出したものだから、「AT」を選択する人は少なく



市場にも少ない。



が、乗ってみると、たかが130馬力、驚くほど速いクルマでは まったくなく、



むしろ、ツールングモデルか街乗り用モデル、、あとから「3速AT」にしとけば、と後悔



された方も多かったはずだが、、なんと「MT」と「AT」モデルでは、フレームごと異なる



ので、あとから変更はできない。



この「3速AT」は、「プジョー」製で多くのモデルで使われた品。






鳴り物入りでデビューを飾った「デロリアン DMC-12」であるが、



このモデルは、驚くほど短命に終わることになる。




製造・販売は、




1981年から



だが、いろいろなトラブルに見舞われる。



ごく初期デリバリーモデルは、クレームの嵐、これに「デロリアン」は、新車と交換して



クレームに対処、膨大な費用がかさみ、おまけに「北アイルランド」の港デモでパーツ入手に



手こずり、ついてないことに、アメリカ経済も失速、、「DMC-12」は、当時の貨幣価値で



1600万円ほどの高級車、、キャンセル続出、、




個人的に間違ったと思うのは、



製造工場が「北アイルランド」、当初、生産は「ポルシェ」社に委託する計画もあったのだが



当時の「英国政府」の工場誘致政策に乗ってしまった、、



この工場の職人で、こんな難しいクルマ造ったら、そりゃダメでしょね。



しかも、英国も経済難となり、とっとと見放されてしまう。



アメリカ国内では、「GM」が巨大包囲網、、頼りは、なくなった。




窮地にたった「ジョン」が、考えた資金繰り案が、狂っている。




近所に住む麻薬密売人に頼み、コロンビアから「麻薬を輸入」する案、、




作戦は遂行され、実際に、「2400万ドル」の麻薬を積んだセスナが飛行場に着陸する。



そして、ジョンが麻薬(コカイン)を確認した その瞬間、逮捕される。



1982年 10月



そこは、FBIに包囲されていた。



隣人の麻薬密売人は、FBIに「ジョン」の情報を売っていたのである。




これが とどめを刺し、「DMC」社は倒産する。




実際に、「DMC-12」が生産されていたのは、1981年~1982年3月までだと されている。



「DMC-12」には、1983年モデルが存在するが、それには禁断のトリックが使われている。




倒産後、管財会社が車を差し押さえたわけだが、生産途中の車が完成するのは、83年に



なる、、で、82年製造モデルの打刻を打ち換え、「83年モデル」として販売したのである。




これは荒っぽいやりかたで、オリジナルプレートの上から張りつけているので、知ってる



人には、バレバレ、、しかも、最終型モデルは、コストダウンしてる上、作ってる職人さん



連中も、倒産途中、もしくは倒産後、、やる気があるわけがない。



デロリアンは、手作り車なのであるから、、



                                                   
生産台数:「8.987台」




内、1981年モデルは「6.700台」



残りは、82年と83年 明確には不明。




プラス:社用車で「100台」ほど




これは、重役連中用、取引企業にプレゼント用、クレーム時新車と交換用、友人にプレゼント



用などなどで、友人の「サミーディビス・ジュニア」にも1台 とか



さらに、「デロリアン」氏本人用に、2台。これがマニアの間では最も価値あり。




「DMC-12」は工場出荷時、100%「ステンレス・ボディ」無塗装で出荷されている。



「DMC」社自身で、アメリカ到着後、3台だけ(赤・黒・黄)に塗装、2台だけ、



「24Kゴールドメッキ」*2台とも博物館所蔵



塗装された個体も少なくないが、これは、ディーラーオプションとして勝手に設定し、



オプションで塗装したか、個人レベルで塗装されたり、事故して塗装されたり、、



この塗装車は、無塗装オリジナル個体から比べれば、当然、価値は低い。






さて、最初に記した「価値ある初期型」の お話



「DMC-12」は、3種類に分類する。





「前期」「中期」「後期」モデル




違いは、数か所に及ぶが、もっとも特徴的で違いが一目でわかる のが、「ボンネット」形状




・「前期型」= 1981年前期


  VINナンバー「3200」まで



  ボンネットに、唯一「給油口のフタ」がある。


  
  さらに、左右に、プレスラインがある。




・「中期型」



 VINナンバー「3201」〜


  
 給油口のフタ 廃止




・「後期型」



 VIN「1001」〜



 さらに、左右のプレスラインも廃止、


  
 ボンネットは、平らになる(替わりに?デロリアン・プレート張り)




これは、資金繰り難によりコストダウンの結果である。



「給油口のフタ」製作は、思った以上に手間暇がかかった。



これにより、「中期型」以降は、ガソリンを給油する際、いちいちボンネットを開けなければ



ならなくなる。




変態な私が探し続けていたのは、無論、「前期型」最初から3200台までの個体である。



そして、見つけた



当個体のVIN 「1998」!



マッチングナンバーの間違いのない「初期型」個体。






現在の「デロリアン」:




「DMC」倒産後、このクルマの未来のため、また、所有していたオーナーたちにとっての



救世主が現れる。




まず、1985年公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。



ご存じ「デロリアン」がタイムマシンをして登場、映画は全世界で大ヒット。



一気に「デロリアン」の人気が沸騰。



全3作品、1989年「パート2」、1990年「パート3」



この映画でデロリアンは、6台が使用されている。




1985年時、すでにデロリアン・ディーラーの存在はなく、オーナーたちは困り果てていた。



だが、カリフォルニアには、デロリアンの修理を得意とする男がいた。



イギリス車とフランス車の修理を専門とする整備工場を営むリバプール出身「スティーブ・



ウィン」。



たちまち噂は広がり、彼の元にアメリカ中のオーナーから修理の依頼が舞い込む。



そこで、1985年 「デロリアン・ワン」という専門工場を設立する。



その後、テキサスに移転、



1995年には、会社名を「デロリアン・モーター・カンパニー」に変更。



1997年には、



正式にデロリアン独占販売権獲得、残っていたパーツ全てを回収、全ての「工具」「設計図」



を入手。数百台を完成させれるパーツがあった。



まったく新しい(ジョンとは無縁の)「DMC」が生まれる。




会社は業績を伸ばし、現在では



テキサスの「ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」の近所に



3000坪の整備工場、ショールームを構え、巨大な「パーツ倉庫」も併設する。



この工場では、修理はもとより、レストア、再生新車の生産、電気自動車「デロリアン」の



開発も行っている。



分かりやすいHP通販で、全世界にパーツ供給も



さらに、当時、クレームの多かったパーツは改良開発も




デロリアンに使われている「2800点」のパーツの内、90%を改良オリジナル・パーツで



供給しているから頭が下がる。



この体制が完備したのは、2002年以降の新工場設立後であるから、それ以前にデロリアンを



ご所有していたオーナーたちとは、天国と地獄ほどの違いがあるかもしれない。



そのほか、拠点は広がり



・「DMCカリフォリニア」


・「DMCフロリダ」


・「DMCミッドウエスト」




もう、困ることは極めて少ないモデルとなった。








では、当個体の お話:






1981年モデル 本国(US)仕様 左ハンドル



国内登録:1991年11月





走行距離: 2.995マイル = 4.792km!



↓お写真でもご理解いただけるとおり、走行距離なり のビカビカ個体である。



が、あまりにも各部、下廻りに至るまで キレイすぎるので、現在の「DMC」社、



もしくは、日本の正規ディーラー「DMCジャパン」(愛知県豊橋市)によって



大掛かりなレストアが施された個体なのかもしれない。



そう日本にもディーラーがある。



整備からパーツ供給まで本社と連携して行われている。




当個体も「DMCジャパン」のステッカーが貼られており、



調べてみると、2005年~2013年の間、実に8年も「DMCジャパン」さんが所有していた。



「一時抹消」の状態だったから、乗っていたわけではない。



そうなると、この8年間の間にレストアしていたと考えた方がリアルかもしれない。



2013年に新車状態までレストアされ、そこからの走行が「4792km」かも だ。



デロリアンのボディは、台所と同じ「ステンレス」だから腐らないし、その下のアンダー



ボディも「FRP」だから腐らない、が、シャーシは錆びるし、腐る。



多くのデロリアンが、その状態で、見た目はキレイ、だけど、下回りを覗くと、恐ろしい



ことになっている場合が多い。



当個体には、それがない。恐ろしいほどキレイ、サビも腐りもない。



それでいて、近年作られた「再生新車」じゃない。



それは、明白で、なにせ「初期型」の最大の特徴、「給油フタ付きボンネット」は、



生産中に使い果たし、とっくの昔に入手不能。



その後、入手できるのは、「まっ平・ボンネット」だけなのだ。



レストア個体の多くも、この「まっ平」 = 多くのドキレイ販売車両も「まっ平」。




私の場合、車は「魂」から入るので、「ジョン・Z・デロリアン」の魂が入っていないと



盛り上がらない。




内外装ドキレイは、↓ お写真をご参考に、




当個体:




・「カロッツェリア」の「HDDインダッシュナビ・地デジ」



・「ETC車載器」をセンターコンソール下部に埋め込み。



・室内数か所に「ブルー・LEDライト」



・「DMC」純正「パワーステアリング」







まずは、走られてみよう




初めて運転した、、



憧れの「タイムマシン」、




ガルウイングのドア・ノブを引くと、クワッとドアが勝手に開く、、ダンパーが新品状態



室内に乗り込む



決して狭さは感じない、アメ車ですから




セルを回すと、おとなしめの音でエンジンが目覚める、



シフトを「D」レンジへ、ミッション・ショックもない、



アクセルを踏み込むと、「タイムマシン」が動き出す、



速くはないが、必要にして十分な加速、



ハンドリングBy:「ロータス」&パワーステアリング 文句なし



こりゃ面白い!



コーナーに突っ込んでも安定感抜群、よくできてる。



*今現在は、数か所のブッシュ交換が必要だな



そんな些細なことは どうでもよい。



この「タイムマシン」の魅力からすれば、。



気分は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の「マーティ・マクフライ」(マイケル・J・



フォックス」、最高っ!



何度も乗ってしまった、、




夜が好い、



いつもの場所に停めて、一人撮影会



「ブルーLEDライト」のON・OFFスイッチはコンソールにある。



スイッチON



幻想的なブルーライトが、室内を染まる、、




「タイムマシン」だわ
















「ジョン・デロリアン」という映画もある。:2019年公開



サブタイトルは、「天才か詐欺師か」




このクルマを愛で、乗れば、その答えが分かる。




間違いようはない。




天才である





彼は、1981年10月に逮捕されたわけだが、裁判で「FBIの罠」となり、



1984年8月、「無罪」となる。



その後も いろいろな事業に手を出しては失敗、1999年、自己破産、



余談ながら、この当時所有していた敷地53万坪の邸宅は、ドナルド・トランプに売却され



建て壊され、ゴルフ場となった。




ジョンが亡くなる前の数年を費やし、実行に移そうとしていた計画がある。



「デロリアン・2」の開発である。



ジョンは、現在の「DMC」社とは関係はない が、副社長と月に一度は電話で話をしていた



という。



やはり、思い入れがあったのだろう。




2005年 3月19日  突然、脳卒中で倒れ、そのまま帰らぬ人となる。




彼の墓地は、ミシガン州トロイにある。




石碑には、 ガルウイングに翼を広げた「デロリアン」の姿が刻まれている、、。




天才「ジョン・Z・デロリアン」の名は、




この車とともに、未来永劫 語る継がれるだろう。









                   「ジョン・Z・デロリアン」に捧ぐ













お次の「語り部」募集~!











まずは、お写真「130枚」をご参考に  ↓