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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

BENTLEY HEADLINE

Darby BENTLEY 4.25

  MAKER BENTLEY  
  MODEL


Darby BENTLEY 4.25



Coachwork by Thrupp&Maberly
 
  YEAR 1937
  EXTERIOR BLACK

(ブラック)
  INTERIOR BURGUNDY LEATHER 

(バーガンディー・レザー)
  PRICE \ ASK
  MILEAGE
  AMMENITIES


本国仕様 右ハンドル (国内初年度登録96年)    




直6 OHV 4257cc  4速フロアMT SUツインキャップ







全長:478cm  


全幅:173cm


全高:158cm



重量:1700kg



定員:5人







* 「エンジン・オーバーホール」済み



* 「デフ・オーバーホール」済み




・「ETC車載器」



・「ナビ」古すぎて作動保証なし







内外装機関共にレストア済み、稀に見る超極上車。  



車検:令和8年10月16日まで







 
  COMMENT




「ダービー・ベントレー4.25」!




1937年 「スラップ&メイバリー」コーチビルド



モーターショー出品車!






1933年から1939年の間に生産させた「ダービー・ベントレー」である。



せっかく戦前のモデルなので、ついでに、「WOベントレー」の時代まで



歴史を さかのぼって、少々? ご説明を、、





物語は、1888年9月16日に誕生した 一人の天才「ウォルター・オーエン



・ベントレー」から始めたい、、。



大学で物理、化学を専攻、卒業後は、鉄道会社に就職、エンジニアとなる



第一次世界大戦中は、軍に要請され、飛行機エンジンの開発にも着手



(位は大尉)、終戦後は、かねてよりの希望であった自動車メーカーに



なるべく、、1919年、31歳の時、早くも「ベントレーモータース」



を興す。





試行錯誤の末、最初の1号車(3リッター)を納車できたのは、1921年



8月のことであったから、、実際には、この会社のスタートは、この年



から・といってもよい。



それから生産された車を通称、「ウォルター・オーエン」の名をとり、



「WOベントレー」と呼ぶ。



思うに、「ベントレー」氏は、ロールス・ロイス社の「フレデリック・



ヘンリー・ロイス」に匹敵するほど、天才にして努力を惜しまない人物



であった。




「WOベントレー」モデルの詳細は、当「ダービーベントレー」とは、



まったく関係ないので、割愛させていただくが、、




驚愕に値するのは、1924年、1927年、1928年、1929年、1930年と、5回



も「ル・マン24時間レース」で優勝を飾っていることだ。



27年からは4連勝・・向かうところ敵無しのスーパー・スポーツカーで



あった。




ところが、1929年に始まった世界同時恐慌がベントレーの経営にも、



重く圧し掛かかり始める。



事態は好転することなく、1931年、「ネイピア」社というリムジン販売



を得意としていた自動車メーカーに身売りが決まろうとしていた、、、



そこに突如、仮名の会社から横槍が入り、、「ネイピア」より、遥か高額



なオファーを提示、一瞬にして ベントレー社を買収してしまう。




その仮名の会社こそ、「ロールス・ロイス」社であった!



ロールス社は、「ネイピア」社自体は、恐れてはいなかったが、ベントレ



ーと合併すれば、自社の強力なライバルとなる・・のを恐れ、先に息の根



を止めたのである。



ベントレー自身、自伝で、契約書にサインした後に、買収先がロールス社



と分かった・・と語っている。



更に、この分厚い契約書の一文には、「ベントレー」氏もセットで買収・



の一文が含まれていた。天才頭脳の流出を恐れてのことだ。



この史実は、ロールス社の唯一の「黒い歴史」とされている。




そうして、天才「ベントレー」氏と共に、栄光の「ベントレー」ブランド



を手に入れたロールス社は、1933年、さっそく ベントレーの名を



持つスポーツモデル「ベントレー3.5L」を発表する。



このモデルは、当時の工場所在地に因み「ダービー・ベントレー」と呼ば



れることになる。




*余談:ベントレー氏は、1935年、なぜか(諸説有る)ロールス社を



退社、「ラゴンダ」社の主任設計者に招かれる。



戦後、既に「アストン・マーティン」を買収していた「デイビッド・ブラ



ウン」氏に「ラゴンダ」も買収され、アストン・マーティンの「DB2」



からベントレー氏設計の直6DOHCエンジンを積む。



このエンジンが戦後アストン快進撃の原動力となる。



だから、「アストン好き」は、=「ベントレー好き」のようなもの。




ベントレー自身がアストンで現場まで指揮していたのは、「DB2/4」



モデルまでで、その後は、静かに余生を過ごし、1971年8月、82歳



で、その波乱の生涯を閉じる。





さて、やっと本題:





「ダービーベントレー3.5L」は、1929年に登場していた小型ロールス・



ロイス「20/25hp」モデルのチューンド版と、ほぼ思っていただいてよい



(フレームなどは異なるが、)




SUツインキャブなどで武装、最高速度は、初期モデルで146kmに達した



が、これは、ロールス版(20/25)の最高速度を25kmほども上回る数字で



あった。



1936年:ロールスが排気量を「20/25」の3669ccから4257ccの



「25/30」に進化すると、「ダービー・ベントレー」も後期型と呼ばれる



「4.25」モデルとなった。



最高速こそ僅かに向上しただけだが、より大トルクなり、乗りやすく



なった。




  

それこそが、当モデルである。





ロールス(ベントレー)社が、自社でボディ製作まで行なうようになるの



は、クルー工場移転後、戦後(1946年から)になってからのことで



あるから、「ダービー・ベントレー」は、全て「コーチビルド・モデル」



・・・コーチビルダーによるハンドメイド製作ということになる。




「4.25」モデルは、第二次世界大戦の勃発により、1936年から1939年まで



の僅か4年間しか生産されていない。





「4.25」総生産台数は、「1234台」。







コーチビルダー別生産台数内訳は、多い順に





1. Park Ward         530台


2. Vanden Plas       122台


3. Thrupp&Maberly    105台


4. HJ・Mulliner       102台


5. Gurney Nutting     50台


6. Hooper             45台


7. Van Vooren         44台


8. Freestone&Webb       37台


9. James・Young            35台


10. barker                24台


他                   140台






そうそうたる有名コーチビルダーが、名を連ねるが、この生産台数の順位



は、そのまま、人気投票と同じである。




当個体は、第3位、「スラップ&メイバリー」105台中の一台である。




戦後では4天皇となるコーチビルダー中の3社「HJマリナー」、「フーパ



ー」、「ジェームスヤング」を抑えての3位であるから、「スラップ&



メイバリー」が如何に凄いコーチビルダーであったか、ご理解いただけ



よう・・。




*「ダービーベントレー3.5L」モデルの生産では、総生産台数1177台



中111台を生産し、「パークウォード」に次ぎ、第2位の順位であった






当個体は、1996年に国内登録、ロンドンの名門販売店「フランクデール・



&ステップソンズ」で完全にレストアされた状態で購入している。



国内2オーナー時(2008年)に当社で購入、販売させていただいた



「シーザー認定中古車」で、その後は、2名様に(国内4オーナー)、



ずーーーと弊社管理、整備担当、実用のために、施した改良も多数・・・



この車の真骨頂は、その「走り」にある。




それでは、お写真、怒涛の「173」枚と共に、




「外装」「内装」「機関系」とわけて、それぞれ詳しく 解説させてい



ただこう↓






 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 

外装色は、「ブラック」




ソリットのブラックである。



天下の「フランクデール」のフルレストア車ながら、前回入庫(2022年)時、そろそろ塗装の数箇所に劣化



に見られたので、気に入らない箇所は、再ペイントした・・



結果、ほとんどオールペントとなってしまったが、仕上がりには満足、、



当時の深みの有る、しっとり・とした「ブラック」の輝きを取り戻した。



現在も その輝きは、まったく色褪せていない。





シャーシのコンディションも世界に自慢できるほど、素晴らしく、とても戦前の車とは思えない。



全長:483cm


全幅:173cm


全高:158cm


車重:1700kg


定員:5名




後のベントレーから比べれば、大変小柄なボディである。



車重:1700kgしかない。これは、総アルミボディであるから・であるが、この軽量ボディが「走り」に



大いに貢献している。



この車以上に巨大で重いリムジンボディを載せたロールス・ロイスでさえ、軽々と走らせる「直6・4.25」



のチューンド版エンジンであるから、当然ながら・・「ダービーベントレー」は「速い」!



今だに、クラシックカーレースで活躍できるレベル。



ダービーベントレーは非常に乗りやすく(操作性が良く)、マニュアル車を運転できる方であれば、



すぐに乗れてしまうだろう。




ただし、1速と2速だけは「シンクロ」していないからWクラッチ(クラッチを踏み1速へ、クラッチを踏み



ニュートラルへ、ここでクラッチを踏み2速へ)が必要となるが、それに慣れるまでは、「2速で発進」



すればよい。大トルクなので、問題なく発進できる。



また、重ステであるから、パワステのように取り回しも片手でラクラクというわけにはいかないが、、



車体が軽く、タイヤも細いので、苦にならない。 むしろ、パワステだとフラフラして怖いと思う。





さて、このボディデザインを見ていただきたい。



素晴らしくセクシーで複雑な曲面を持つ・・ハンドメイドの総アルミボディ・眺めているだけでも飽きない。



かくあるべし・・・の お手本のようなヘッドライト廻りの造作・・・ルーカスの巨大なヘッドライトのほか



センターにはフォグランプ。




当個体のコーチビルダーである「スラップ&メイバリー」社を、もう少し解説しておこう、、。




創業は1760年という老舗である。(この時代は、馬車屋)



スラップ氏とメイバリー氏・・創業者2名の名を社名としている。



自動車のコーチビルドに乗り出すのも早く、一番最初の仕事は、1896年、ビクトリアという車をコーチ



ビルド・・・この車は、スペイン女王に納車されている。



後、数々の名車のコーチビルドを重ね、1925年のモーターショーでは、ついにロールス・ロイス・コーチ



ビルドモデルを発表するに至る。




「スラップ&メイバリー」は、1933年の「ダービーベントレー」誕生から1938年までの6年間、



毎年、モーターショーで1台づつ「ダービーベントレー」の新作ボディを発表(出品・展示)していた。




1937年のモーターショーに「ツーリング・サルーン」として出品された作品こそ、正に当個体そのもの



である。




興味深いのは、、1933年出品の2ドアDHC以外、1934年から38年の5年間、全て4ドア・サルー



ンを出品している点で、このコーチビルダーの得意分野は、4ドア・サルーンであることが伺える。



戦前、ロールス、ベントレー、ダイムラー、タルボットなどの高級車で名作を残した「スラップ&メイバリー



」であるが、戦後は、「ルーツ」グループに飲み込まれ、残念ながら、歴史残るような大作は製作できない



まま、1967年、会社は閉鎖される。



で、当個体、、確かに、デザインバランスもよく、造作の精度は現在の車以上・と言ってもよい。



ドアが「カチャリ」と閉まる音を聞いただけでも、ただものではないことが分かる。




「4.25」生産シュア第3位の実力は、イギリス中で3位と同じこと、悪いわけがない。



芸術品の域!

 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 

内装は、「バーガンディ」レザー。




内装も完全にレストア済みで、レザー類も、全て張りかえられている。



ウッド類も抜かりなく、リペアされており、どこを見てもキレイ。



まあ、当初の入庫時から比べれば、少しはヤレてきている箇所があるにはあるが、風情がでるまでには



もう少々乗り込み必要があるだろう。






室内空間も前後ともに十分に広く、窮屈さは無い。



メーター類は、スピードメーターにタコメーター、電圧計、水温計、燃料計、油圧計、、現在の車と変わり



はない。



ETCも取り付けている。



フロントウインドは、写真のとおり、開けることもできる。「サファリ・ウインド」ってやつ。



開けた状態で走らせてみたが、なんとも心地よかった。



その折、当時オプション設定であった巨大なスライディングルーフも開けておいたのだが、その爽快感と



いったらない。



この巨大スライディングルーフを開けた状態であえば、「セダンカ」のようである。



このオプションは有益で運転の楽しみが増す。



おどろくべきギミックは、運転席の窓、、レバーを1回下ろすだけで、窓は一発で閉まり、1回だけ上げる



だけで、一発で完全に下がりきる、、、すごっ





右ハンドルの右シフト、英国人の場合、運転席への乗り降りには、左ドアから入る。



足が長いから? 右から乗り込むと、「シフトレバー」と「サイドブレーキ・レバー」が、邪魔になるから



だから、ドア・ロック・鍵は、フロント左側にしかない。



が、私は、右から乗り込む。問題なし。





右シフトは、ピン・とこない方も多かろうが、右利きの方なら、逆に乗りやすい。



利き腕で操作するのだから、、。



H型に溝の入った4速であるから、ギアを入れるのも分けない。



前述の通り、1速と2速だけは、シンクロしてないから、Wクラッチとなるが、うまい人は、ワンクラッチ



で、2速に入れる。この練習も楽しそうだ。



エンジンをかける前・後 には、戦前モデル固有の伝統儀式がある。



ステアリング中央の4つのレバー(チョーク・アクセル・点火タイミング・ライディングコントロール)、、



これは、言葉で書くより、実車で ご説明したい。




ま、百聞は一見にしかず、、




ご興味のある方は、ぜひ、ご試乗ください。

 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   



6気筒 OHV 4257cc  歴史に残るエンジンである。



この必要以上に頑丈で美しいエンジン、、



現在でも、当時のスペックどうりの性能がだせるところがエライ。



エンジンルームの景観も必見!・・・アルミの作り込みが見るものを圧倒する。傑作だ。



とても車のエンジンのようには見えない・・・精密機械だと思うと理解できるが、、。



当個体、数年前に、元「陛下のメカニック」により



・エンジンオーバーホール



・デフ・オーバーホール



などを含む大掛かりな整備も施されている。



もち、直流から交流(オルタネーター)に交換済み。



相当に手を入れてきた1台であるが、1937年、およそ90年前のクルマであることも、忘れてはならない。



車が乗り手を選ぶ。



車にまったく興味がない、または、覚えるつもりもない 方は、やめておいた方が好い。



じゃなきゃ、エンジン始動時の「ステアリング」の各スイッチを動かす意味も分からない。




= 壊す。それに、「エジエーター水」と「エンジンオイル」の適正量は命。



走り出す前には、確認するのが常識。これが面倒な方は、やめておくべき。




では、好きな方、興味ある、覚える気がある方のみに ↓




近代車のような「余計なお世話」な装備は皆無であるから、相当に気が楽。




耐久性、操縦性、整備性の良さ、三拍子揃ったクラシック・カーってのは、なかなか無い。






私自身、当個体で、10年?ほど前、当時のオーナー様と、「コッパ・デ・軽井沢」の1泊2日「クラシック



カーラリー」に参戦したことがある。宿は 軽井沢「万平ホテル」、




軽井沢 出発、当日渡される「コマ図」を頼りに、どこを走ってるのか??、、なんか知らんうちに草津まで



走っていた。大変な急こう配の山道を登ったり、下ったり、、



本気組が大半だが、こちらは、呑気なドライブ気分、当時常識の専用「ラリーコンピューター」もなし、



ストップウォッチのみ、、、初日は、最下位クラス、、が、2日目になると、だんだん本気ムードになって



きて、2日目は、19位、あんなヒルクライムみたな山道をグングン駆け上がっていくパワー(トルク)には



驚かされた。人間は疲れ果てたが、車は、絶好調、ノントラブル、流石は「ダービーベントレー」。









余談:




前述で、当「ダービー・ベントレー4.25」がロールスの「25/30」モデルの高性能版的な ご説明をしたが



当個体、1937年式モデル・・・歴史的に興味深いのは、、戦前に輸入された2台の「25/30」の内の



1台、吉田茂・元総理大臣が、所有されていた有名なロールス・ロイスも1937年式(フーパーボディ)



「25/30」であった。



吉田総理は、このロールスに乗って大磯の○○宅へ行くため、横浜バイパスを通した(作った)・と、されて



いるが、、田中角栄・元総理の新潟新幹線以上に、なんとも痛快な話である。



このロールスは現在も当時と同じまま現存し、もちろん、当時と同じ性能のまま走行することもできる。




さらに、もう1台の「25/30」は、やはり1937年式、当個体と同じく「スラップ&メイバリー」の



リムジンであったが、この車が空襲を逃れ、生き延びたかどうかは、残念ながら知らない、、。



また、戦前に正規輸入(当時のディーラー:野沢組)された「WO・ベントレー」は7台あるが、、



「ダービー・ベントレー」の台数は不明、、。



故・小林彰太郎先生によると、戦後まで生き延びたダービーベントレーは1台しかない。



三井家の当主「三井八郎右衛門」様ご所有の1936年式「3.25」パークウォード・コーチビルドの当個体



と良く似た4ドア・サルーンで、戦争中は、長野の三井炭鉱のトンネルの中に隠し、疎開させていたという。




このダービーは、小林先生によると、1960年代半ばまで、なんと30年ほども、八郎右衛門さんの愛車と



して活躍していた(街で見かける)が、その後、姿をみなくなった という。




「スラップ&メイバリー」の傑作は、やはり戦前モデルでしかみることができない。



このコーチビルダーがもっとも得意とした4ドア・サルーン、、しかも当個体は、1937年のモーターショ



ーに出品された、そのものの力作!




それでいて、4ドア・サルーンは今となっては、2ドア・モデルに比べ、格安で購入できるのも、お勧め



ポイントである。




これが仮に、「2ドアのクーペ」なら、価格は、2倍〜




「2ドアのオープン」なら、価格は、3倍〜




エンジンやシャーシは、ロールス社供給もので、どこの「コーチビルドモデル」でも、「どんなカタチ」



でも、全て「同じ」であるが、「見た目」で、値段が違う。


  




こんなにキレイで、よく整備されている「ダービーベントレー」は、この日本には、ほとんど住んでいない。





「一時預かり人」 募集〜!