-
株式会社シーザートレーディング
TEL.042-480-2222 (営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12
| JAGUAR | |
| |
XK120 FHC |
| |
1952' |
| |
PASTEL GRREN met (パステル・グリーン)メタリック |
| |
RED・Leather (レッド・レザー) |
| |
ASK |
| |
|
| |
US並行(国内1989年3月 登録) 左ハンドル 水冷 直列6気筒 DOHC 3442cc 4速MT 160馬力 最高速:「120マイル」(192km) 全長:442cm 全幅:156cm 全高:113cm 車輌重量:1400kg *オールペイント済み *アルミ・ラジエーター *電装ファン *ハザード・スイッチ 超極上車! 車検:令和8年12月3日まで |
| |
「XK120」物語 1922年、若干21歳だった「ウイリアム・ライオンズ」が創業した「スワローサイド・ カンパニー」、サイドカーの販売から始まった小さな会社を、世界的スポーツカー メーターへと転身させたのが、当「XK120」である。 戦前の名車「SS100」スポーツカーの高性能版・後継モデル。 1948年10月、ロンドン・モーターショーでデビューする。 このショーは、サルーンの「マーク5」が主役のはずだったが、それではインパクトが 弱い、、と考えたライオンズが急きょデザインし、完成させた、いわば客引き用の ワンメイクのコンセプトモデルであったが、、これが大反響、、世界中から注文が 殺到した。 ハリウッドスターがこぞって、、「ハンフリー・ボガート」「クラーク・ゲーブル」 「イングリッド・バークマン」などなど 翌、1949年からカタログモデルとして販売することに。 ただ、このモデル、量産予定がなかったので、1台づつトンテンカンのアルミボディ、 当初(1950年3月まで)の「243台」はアルミで作られたが、その後は、スティール製 ボディ(プレス)に変更される。 「XK120」の「120」は、「120マイルは出る」という意味であったが、実際、 1949年に有名誌「ザ・モーター」が、最高速を計測したところ、実走で、 「124.62マイル」(199.36km)を記録、、マジであった。 しかも、超安価。 かの「WOベントレー」師匠が設計した「直6DOHC」エンジンを積んだ、アストン ・マーティンの「DB2ヴァンテージ」はXK120の1.5倍の価格であったが、性能的 には、125馬力で最高速は、187km、、。 そりゃ 売れるさ。 欠点といえば、、、その あまりに質素な作り、、だって、コンセプカーですから。 デザインと性能は素晴らしいが 豪華さは なし。 そこで、 1951年3月、新型モデルを投入する。 それが、当「XK120 FHC」である。 * FHC「フィクスド・ヘッド・クーペ」は、クーペ。 * DHC「ドロップ・ヘッド・クーペ」は、オープンカー。 こちらは、待ちに待った「豪華版」クーペ! それまでの、パネルは、ビニール張り、FHCは、バーウォールナット張り、 巻き上げ式ウインドに三角窓、ヒーター付きで、本革シートが標準装備。 おまけに、デザインは、かの「ブガッティ・タイプ57・アトランテ」を彷彿させる 丸みをおびた流線形。 こちらも注文殺到、、 ついには、工場が手狭となり、1952年11月 コヴェントリーの「ブラウンズレイン工場」へ移転。 この工場は、それまで、「ディムラー」がいくつか持っていた秘密工場で、 戦時中は、「小型装甲車」(フェレットなどの)を生産していた大工場だ。 この工場の設備のお陰で、生産効率は、飛躍的に向上する。 調子にのって、1953年、「カブリオレ」モデルを投入。 初期モデルは、簡易幌のロードスターといったイメージだったが、こちらは、固定式の ちゃんとした裏地付き幌を持つオープンカー。 ジャガー社的には、カブリオレであるが、世間では、最初に「FHC」があったため 「DHC」と呼ばれる場合も。 こちらも好評であったが、生産は、翌1954年まで 1955年には、後継モデル「XK140」が発売されたからである。 その後、1957年には、「XK150」に とパワーを増す替わりに、、 「XK120」のグラマラスな流線美は、どんどん失われていく。 より室内空間を確保するため らしいが、平たくいうと、どんどん普通〜になる。 その後は、1961年より、あの「Eタイプ」にシリーズを継承するわけだが、 今回は、「XK120」に話を絞ろう。 「XK120」が今もなおモータースポーツ界に その名を残す最大の理由は、 このモデルを元に製作したレースマシン「Cタイプ」「Dタイプ」にある。 機関系もチューン(210馬力)されたが、なにより、「C」「D」のデザイナー、 ちょうど「ブリストル社」から移籍してきたばかりの「マルコム・セイヤー」が担当。 彼が 後に「Eタイプ」をデザインすることになる。 「Cタイプ」は、「1951年」と「1953年」に「ルマン24時間レース」で総合優勝! 1954年には、「Dタイプ」に進化し、「1955年」「56年」「57年」と3年連続 「ルマン」で総合優勝! バケモン この時代には、たいしたスポーツカーがなかった わけではない。 最初の「51年」時、「アストン」も「ベントレー」も「ポルシェ」も参戦していたし、 「55年」時には、全員集合、、「フェラーリ・121LM」、「マセラティ・300S」、 「メルセデス・300SLR」、「アストン・DB3S」、「ラゴンダ」、「トライアンフ」 などなど、今じゃ数億、数十億円する名車ばかり、、その中で、3年連続優勝 って、 夢のような話、、 1958年には、レースの規定が「3L以下」とされたため、参加し ていないが、、参加できなかった「Dタイプ」のパーツを集めて生産したのが、 1957年発売の 市販車「XKSS」である。 「スティーブ・マックイーン」が乗っていたことで有名であるが、 このモデル、生産から僅かして、工場が火災になり、わずか、16台しか作れていない。 「XK120オープン」生産台数:左「6438台」、右「1176台」:計:「7614台」 「XK120 FHC」生産台数:左「2485台」、右「195台」:計:「2680台」 「XK120 DHC」生産台数:左「1472台」、右「295台」:計:「1767台」 トータル:「12.061台」1948年~1954年 ↑全体の9割ほどが、「左ハンドル」=「輸出」、 その ほとんどが、アメリカへ だった。 当個体も、左「2485台」のうちの1台。 では、当個体の お話: 1952年モデル、北米仕様 左ハンドル アメリカに52年5月 登録。 国内に持ち込まれたのは、1989年3月、まさにバブル期、弊社の創業年でもある。 2014年、2オーナー時、弊社と同じ整備振興会に所属する某・老舗・クラシックカー屋 さんの元へ。この業者様は、弊社より遥かに長い歴史を持つ英国車のスペシャリスト。 この2014年から、現在まで、同じメカニックさんが当個体の主治医を務めている。 2014年時から2023年時までに当個体における記録が、ブログで残されていた。 読めば、当個体、52年5月にアメリカで登録され、オーナーは、USジャガークラブに 所属されてたよう、、クラブの記録によれば「1986年、Aクラスのレストアを施す」 北米であるから、サビや腐りはないし、28年前にレストアしたとは思えないほど、 ◎コンディション、、、もち、「マッチングナンバー」。 入庫時は、オプションの「ワイヤーホイール」を履いていたが、ラッキーなことに、 オリジナルのスティール・ホイール、ホイール・キャップ、ハブ、スパッツも付属 していたそうで、ノーマルに戻し。 ワイヤーホイールを履くと、リアの「スパッツ」は装着できない(接触するので)。 リアのスパッツ(ホイールカバー)がないと しっくりこない、、 このホイールとスパッツ装着にて、よりクラシカルな風情に、、 すぐに売れてしまったが、その後、 とはいえ、「日本で走る」仕様に、ありとあらゆる整備・改良が行われていく。 電動ファンは元より、アルミのラジエーター交換、エンジンヘッドのオーバーホール などなど、ばっちり機関系を仕上げ、 オーナー様のご希望で、オールペイントすることに、 当個体、元外装は「ブラック」であったが、もっと明るい素敵なカラーにしたい と、 当時のオリジナルカラー「11色」の中から選択・検討。 そして、「パステル・グリーン」メタリックに決め、 2014年~2015年にかけて、全バラシ・剥離オールペイントが施される。 もち、ウェザーストリップ類も新品交換。 ここでもラッキーで正解だったのが、当個体の「年式」、、1952年前半生産モデル。 前述のとおり、ジャガー社は、1952年11月、「ブラウンズレイン工場」に移転する わけだが、この工場の設備の中に、ボディを豚の丸焼きにみたいに、回転させることの できる機械が大量にあった、、これで、塗装の「やり方」が変る。 ホワイトボディの状態で、車を回しながら、全体を塗装していく。 そう、エンジンルームの中も ボディ同色となる。 しかも、コストダウンのため、「パステル・グリーン」と「パステル・ブルー」の 2色は、メタリック塗装からソリッド塗装に、、同じカラー名 でだ。 つまりは、1952年10月製造までの車は、エンジンルーム内は、同一「ブラック塗装」 「パステル・グリーン」は、「メタリック塗装」、、 まさに「当個体」は、正解! エンジンルーム内「ブラック」に「メタリック塗装」。 因みに、メタなし後の「パステル・グリーン」は、まったく違うカラーに見える。 更に、当個体には、記録簿が残されていて、それによれば、 平成6年3月:「99.999マイル」 :1994年:「159.984km」 *トリップが、5ケタのため、0に戻り = 「10万マイル」プラス 平成8年3月:「 385マイル」 :1996年: 「160.616km」 平成26年4月:「1000マイル」 :2014年: 「161.600km」 平成28年4月:「1154マイル」 :2016年: 「161.846km」 令和4年11月:「1213マイル」 :2022年: 「161.408km」 令和5年11月:「1279マイル」 :2023年: 「162.046km」 令和6年11月:「1416マイル」 :2024年: 「162.265km」 そして、現在:「1.507マイル」=「162.411km」 とても、16万キロの個体のコンディションには見えないが、これは、1986年の「A クラスのレストア」と、前述の専門業者さんの お陰であろう。 おそらく、実走であろうが、なにせ、73年前の車、この距離は、超~低走行だ。 外装: いまだに、◎コンディション! 下廻りも、86’レストアものにしては、きれい過ぎる。 パステルグリーン塗装の際に、仕上げたか、、 にしても、このデザインが素晴らしい、まさに「ブガッティ・アトランテ」かよっ 豪華版クーペであるから、三角窓は、前後左右の4か所が開く。 全長は、442cm 小さすぎず大きすぎず 内装: 「レッド本革」、まるでオリジナルのジャガーのそれ に見えるが、 きれい過ぎるので、86年のレストア時に張り替えたのだろう。 ウッドも86’レストア時に と思われる。十分 艶がありながら、好い感じで、 クラックも入っている。この風合いが室内全体、「時代が合っている」。 カーペットも同時期であろうか、張り替えられていて、ドキレイ。 「SMITHS」の計器類、5つ(速度計、タコメーター、燃料計、水温計、油温計)、 激渋っ! タコメーターが、現代と逆の右から動き出し、速度計は、左から動く、、 走っていると、その左右メーターの動きが たまらない。 機関系: 前述の業者さんにより、エンジン、ビカビカ! 当然、絶好調~ 名機「XKエンジン」の美しきアルミヘッドは、観ていて飽きない。 ハザードスイッチは、後付けされているが、他、現在的装備品は一切なし。 この個体は、日本で走る仕様に整備・改良されているが、走るときは、 1950年代を感じて である。 まずは、走らせてみよう: キーを右に回し、電源ON、、5秒待機(クラシックカーは全て待機要す)、 SUのツインキャブにガソリンが回ってきたところで、アクセルを2度ほど踏んづけて 「スターターボタン」(速度計・左横上の丸いシルバーボタン)を押す、、 キュルキュルとセルが廻り、アクセルで合わせて、回転を整える。 かかりを良くするのに、「チョークスイッチ」もある。 ステアリング、右奥パネル下にある、茶色のスイッチ、引いておけば、かかりが好い。 かかれば、早めにチョークを戻した方がよい。かぶらせてしまうから、足で合わせた方 が好ましい。 あとは、暖気運転 命、、水温が少しでも上がるまで、アイドリングが安定するまで 待ち。季節により暖気時間は異なるが、大丈夫、車が教えてくれる。 もち、エンジンを掛ける前には、「ラジエーター水」と「エンジンオイル」の適正量 確認は、毎度毎度、クラシックカーは、始業点検 も 命。 70年以上も前の車 を 忘れてはならない。 仮に、水もオイルも まったく足りていなければ、数十分後にはオーバーヒートして しまうだろう。 逆に、これさえ、厳守していければ、当車輛(◎クラス)、ふつう~に走れる。 さて、暖機完了、水温系も少しだけ上がった。 ギヤを1速に入れる。 あれっ?1速だけは、シンクロしてない(2速~4速シンク) はずだが、、ダブルクラッチもしなくて入るね。なるほど、やさしく入れれば か。 1速で発進、、十分なトルク感、少しだけ引っ張って、2速へ、好い感じの加速。 3速、快適、市街地では、4速は、オーバードライブだね。 いいわ~ 今なお、人気がある理由が 乗れば分かるわ~ あとね、室内空間、身長176cmの私が座っても、天井までにクリアランスは、20cm 以上ある。狭さは感じないけど、足の長すぎる方には、向かないかも、私でちょうど良 し、クラッチ踏みこんだ時、これ以上、シートが下げられないから。 っても、アメリア人の巨人たちが 平気で乗ってたんだから、ただの わがままか、、 「XK120」を足で使いまくっていた「クラーク・ゲーブル」なんて、身長「185cm」 (調べた)、足も めっちゃ長いし、、なんかコツがあるのか、、 1948年発売って、当時、日本には、まともな自働車さえなかったんだから、当時、 これに乗った人は、みんな驚いただろうさ。 最高速190kmなんて、、最高速がこれ以上のモデルは、国産車なら、1967年の 「トヨタ2000GT」まで待つ必要がある。 今乗っても、凄いんだから、、おまけに楽しいっちゃない。 これなら、どんなクラシツクカーラリーでも参加できるから、それも 一案。 他メーカーの名車と 良き勝負できるよ~ まっ、一人で、もしくは、二人で、のんびり海岸線なんか走ったらシビレルでしょね。 さあ、1950年代の世界へ ようこそ いらっしゃい 最後に、最高の おまけ!! 当個体、売約後、ご納車前には、前述の2014年から、同じ当個体・専属メカニックが、 一から納車整備してくれる ことに。 こんなに心強く、安心なことはない。 では、お次の「一時預かり人」様 募集~! の前に、お写真、怒涛の「160枚」を ご参考に↓ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|