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Rolls-Royce Bentley Specialist

株式会社シーザートレーディング
TEL.
042-480-2222 (
営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12

CAESAR COLLECTIONSHEADLINE

AUSTIN-HEALEY

 
AUSTIN-HEALEY
3000Mark-V
1965
British-Racing-Green


(ブリティシュ・レーシング・グリーン)
Black- Leather 

(ブラック・レザー)
ASK
VIN: HBJ8L32000




 US 左ハンドル 国内88’登録 




 水冷 直列6気筒 OHV 2912cc 



 4速MT(オプションのオーバードライブ付きで実質6速MT)




 
 馬力 :150ps/5250rpm




 トルク:25.5kgm/3000rpm



 
 最高速:195km以上







 全長:400cm



 全幅:152cm



 全高:126cm




 車両重量:1170kg(カタログ・データは、1077kg)








 装備(オプション&社外&改良・含む)






 ・ワイヤースポーク・ホイール


  
 ・ハブキャップ



 ・ウェーバー(40φ)3連キャブ(ノーマルは、SUツイン)



 ・電動ファン


  
 ・エンジンオイル・クーラー増設



 ・助手席・パワーウインド



 ・モトリタ・3スポーク・ハンドル



 ・特注スティール・マフラー(タイコ部ステンレス)



 ・オルタネーター



 ・幌 張替え済み


 
 ・トノカバー



 ・内装シート・キット 新品張替え済み



 ・カーペット 新品




  
 他







 内外装極美、稀に見る超極上車!




 車検:平成30年3月7日まで


 




 オースチン・ヒーレー「3000マーク3」








「ビッグ・ヒーレー」のファイナル・モデル!






マニア間で「BJ8」と型式名で呼ばれる「ヒーレー3000シリーズ」の最後にして




最強マシンである。




*どちかというと英語読みの「ヒーリー」と呼ぶほうが正しいが、なんだか、ヒーレー



 の方が かっこいいので、あえて本文ではヒーレーとする。






さてさて、せっかくの名車「ヒーレー」の入庫であるから、ちょいと歴史から、



おさらいしておきたい、、。








まず、「オースティン」社は、1905年創業のイギリスの老舗メーカー、、




この会社と「ヒーレー」のコラボ作品が、「オースティン・ヒーレー」である。





「オースティン」は、エンジンと金を供給したにすぎない・・・





この車における物語の主人公は、後者の「ヒーレー」 





そう「ドナルド・ミッチェル・ヒーレー」




記憶に留めるに値する人物だ。







1898年、イギリス・南西部コーンウォール州の小さな田舎町に生まれた飛行機好きの



少年は、後に、自動車界の歴史に偉大な名を残すことになる。




1914年、第一次大戦が勃発すると、彼は、若干16歳で、イギリス陸軍航空隊に志願、



16年からは実際に、夢であったパイロットとして活躍した。




が、僅か1年あまりで負傷、、故郷に戻る。




次ぎに彼が興味を持ったのは、自動車であった。




自動車工学を、なんと通信教育で学ぶ。




今度は、ラリードライバーとして活躍、、1929年から参加したモンテカルロ・ラリーで



は、1931年に総合優勝を飾るに到る、、




これで絶対的な名声を得た彼は、「トライアンフ」社に、ゼネラルマネージャーの地位



で迎えられる。




第二次大戦中は、またも、イギリス軍の自動車や飛行機部門でエンジニアとして活躍、





終戦後、1945年には、ついに自身で自動車メーカーになるべく、念願の




「ドナルド・ヒーレー・モーター・カンパニー」を設立する。





イギリス北部・コベントリー州のウォーリックにある小さな町工場からのスタートでは



あったが、息子「ジェフリー」の協力のもと、徐々に業績を伸ばしていく。




1949年に僅かだけ生産した「ヒーレー・シルバーストーン」は、今でも、海外オークシ



ョンで高額で取引される伝説の名車だ。





1952年、親子は、ロンドン・アールズコートのモーターショーにオースティン製エンジ




ンを積んだ「ヒーレー・100」を出品する。




と、その美しいボディデザインが話題騒然に、、




この車は、「オースティン」社の会長レナード・ロードの目にも止まり、絶賛、急遽、



双方で、契約が交わされ、ショーの2日目から、オースティンのバッジが車に張られたの



である。




1953年から正式に販売された その車こそ「オースティン・ヒーレー」・・



歴史に残る名車ストーリーが始まる。






ボディ製作は、名門「ジャンセン」社が担当、、




当初のモデルは、オースティン製A90、2.7L、4気筒を積む




「オースティン・ヒーリー 100」。





この「100」の名は、最高速は「100」マイル(160km)は出るぞ!という意味であった





*先に、、




「オースティン・ヒーレー」は、大きく、3種類のモデルがある。




「100」、「3000」、「スプライト」である。




「スプライト」は、1958年に追加デビューした、オースティンA40、948ccを積んだ



小型排気量モデルで、最終マーク4まで進化するが、このモデルのマーク1が有名な




「カニ目」である。   詳細は、割愛。







「100」シリーズは、進化を続け(割愛)、1959年5月、直6、2912ccを積む




「3000」シリーズにバトンを渡す。




これこそが「ビッグ・ヒーレー」!




(厳密には100シリーズの最終、57年から59年の間に生産された6気筒モデル・



[100-6]からビッグ・ヒーレーに含む・らしい)








当初、SU HD6 ツインキャブで124馬力であったが、1961年5月、




SU HS4の3連キャブに(フロント廻りのデザインが若干変更に)なり、




「マークU」となる。馬力は、132馬力。最高速度173km。







そうして、1963年10月、ビッグ・SUツイン(HD8)で武装した最強モデルにし




てファイナル・モデルとなる「マークV」が登場する。




馬力は、150馬力、最高速度は195kmに達する。




内装も豪華になり、ブレーキサーボなど、機関系にも進化が見られる。




これが、当車輌であるが、、前述の装備欄にあるとおり、当個体は、もっとスゴイ・・




ウェーバー3連キャブ・・他、、ポテンシャルは底知れない・・詳細は後ほど、、。




「ビッグ・ヒーレー」は、大人気をはくし、その高性能がゆえ、レース、ラリーにも参



戦、、例えば、1961年、1962年のアルペン・ラリーでは、2連勝を飾っている。








今となってみても、クラシックカー・ラリーに最適・最強な一台と思われる。




「ドナルド・ヒーレー」氏自身は、膨れ上がるグループの中で、、幾度かの会社再編・




合併の波に飲み込まれ、1968年、自分の所属が、ブリテッシュ・レイランド・モーター




になった際、グループを去り、生粋の「オースティン・ヒーレー」は、消滅することと




なる。




*「スプライト」だけ、71年まで「ヒーレー」の名前のみ続くが、、。





1966年には、大英帝国勲章の叙勲まで受けた「ドナルド・ヒーレー」ではあったが、、




すでに高齢、、ジャンセン・モータースの社長職(ヒーレー・ファンのアメリカ人実




業家が自分好みの車を作るべくジャンセン社を買収し、ヒーリー親子を迎え入れた・が




大失敗・76年に倒産)を最後に自動車業界から身を引いた後、故郷コーンウォールに戻




り、裕福な余生を送ったという。





1988年1月13日(89歳)・・・妻と3人の息子たちと、その家族に看取られ、静かに目



をつぶった、、、自動車界のビッグネームがまた一人消えた瞬間であった。









1953年から1968年、16年間にだけ生産された「オースティン・ヒーレー」、




59年からの「3000」ビッグ・ヒーレーは、トータル「42.926台」が生産されたが、




その大半、9割ほどは、アメリカに渡ったので、国内で極上個体を見かけることは滅多に



ない。




*他メーカーで、ヒーレー氏がコラボした・52年発売「ナッシュ・ヒーレー」や




 72年発売「ジャンセン・ヒーレー」は、「オースティン・ヒーレー」とは関係が無く


  
 ヒーレー氏の血も薄い。









「3000」シリーズ・生産台数





1. 1959年〜1961年 「マーク1」:13.650台



2. 1961年〜1963年 「マーク2」: 5.451台



3. 1963年〜1968年 「マーク3」:17.712台 (68年は1台だけの生産)





当「マーク3」:17.712台の内訳データ




左ハンドル:16.467台




右ハンドル: 1.237台(不明8台)






アメリカ輸出:15.407台






















では、当個体の お話!





1965年モデル




国内 昭和63年(1988年)登録 





平成21年 国内2オーナー時に弊社で仕入れ=「シーザー認定中古車」 販売 




久しぶりに再入庫、国内トータル:3オーナー。




前オーナー様は、当個体で、各種国内有名クラシックカー・ラリーに参戦、




過酷なレースに耐えるべく、機関系には、エンジン・オーバー・ホールを含め、




万全な整備が施されている。












外装は、王道カラー「ブリテッシュ・レーシング・グリーン」。





今回の入庫で、気になる箇所は、塗装し直した。




幌も張替え済み、、キレイ。





ヒーレーが大ヒットした理由は、高性能パフォーマンスと同時に、このボディデザイン



の素晴らしさにある。




全長4m、如何にも英国車の風情漂う優雅な曲線、、どの角度から見ても芸術的だ、、




このデザインはイギリス車ならでは、、




ドナルド・ヒーレーのセンスの好さがうかがえる。




ラダーフレームのシャーシ&ボディであるが、よく考えられた設計で、ボディ剛性は、



いたって好い。




クラシックカーってのは、見える箇所より、見えない箇所(例えばフレームや下回り)



のコンディションが重要であるが、当個体は、何より、そこが ◎!








フロントはサーボ付きディスク・ブレーキ、リアはドラム式であるが、効きは実用に




何の問題も無いレベルで、とても旧車のものとは思えない。




左ハンドルの欠点とされるのが、運転席の下からの熱、、




これは、マフラーが、運転席の真下を通っているためであるが、、




これも対策済み、、運転席下(外側)には、厚い断熱材が張られ、マフラー熱を遮断し



ている。




マフラーは、よく診たら、ステンではなく、スティール製でタイコ部分のみステンレス




製、、オリジナルの新品のよう?? ステン・マフラーよりスティール・マフラー




の方が「音」が好いのは、定説であるが、、確かに、ウェーバーと相まって、素晴らし




いサウンドを奏でる。





熱対策、パーコレーション対策で、エンジン近くの蛸足マフラー部は、断熱材ぐるぐる




巻き・・・抜かりなし・です。





前回販売時には付いていなかった「ラゲッジ・キャリア」が取り付けられている。




これは、当然、数日間を要するラリーの場合、荷物を積む必要があるため。




実用度ありありなので、付けておいて良いと思う。





当個体、1988年に国内登録された後は、3オーナー、およそ考えられる箇所には全て手




が入っている・・いったい幾らの費用を掛けたのか、、!















内装は、「ブラック」レザー。





今回の入庫で、内装は、シートもセンターコンソールもカーペットも新品にした。




当「BJ8」のシートには特徴があり、シートの縁に(透明チューブの中に細い針金の



ような物が らせん状に入っているような)パイピングがある。




オリジナルに忠実に 一から、これを再現するのは、不可能で、本国で販売している




「シート・キット」で張り直すしかない。




これで、張り替えると、まるで、オリジナル新車時のまま、、だが、素材は、




合皮である。




厳密には、新車時は、表面だけ本革を使っていた(他は合皮)、、惜しいな。




まっ、実用度を考えれば、雨に濡れても大丈夫な合皮の方が 気が楽かもしれない。





張替え時、中身のクッションも やり直してあるので、パンっと張りがあり、仕上がり



には満足している。









この美しき「ウッド」造作を持つ フェイシア・パネルは、最終モデル「シリーズV」




だけの特徴だ。






このフェイシア・パネルには、オプションの「オーバードライブ」スイッチがある。




ノーマルは、4速MT、、オーバードライブはスイッチを入れると3速と4速で、




1速づつ上がり6速となる。




当時の英国車にはありがちのオプション装備でるが、構造は、複雑な精密機械で、



昔の人は凄いと思う。



要は、通常のトランスミッション(4速)の後に「オーバードライブ」ユニットを増設。




中身は、クラッチ、バンド、プーリーなどで構成されていて、スイッチをONにすると



油圧でリングギアを作動させる。 仕組みは異なるが、AT車のように、



ギヤ・チャンジするから、図に描くと




 1速 → 2速 → 3速 → 3.5速 → 4速 → 4.5速





こんな感じで、実質6速となる。




これが有益なのは、乗ってみると分かる。 すごい。








助手席のみパワーウインドに!




ファイシア・パネル上に、まるで、オリジナルのごとくスイッチがある。




これは、一人で運転していて、ETCレーンのない有料道路などを走るとき、大いに



助かる。






ハンドルは、ノーマルの細身大径ハンドルから「モトリタ」の 3スポークに変更・・



・ハイパワー・マシンを乗るには、このくらいのグリップが望ましい。と、、それだけ




ではない、、ノーマルと同じく、ウインカー・レバーをハンドル中央に取り付けてある




・・・恐れ入りました!





あっ 前回販売時には付いていた「クーラー」が取り外されている。




サンデン製のであったが、これも、ラリー仕様なら、いらない装備には違いない。




「オルタネーター」に「電動ファン」、おまけに、「エンジンオイル・クーラー」まで




増設(ラジエーター下にあるから、見えないけど)




とことん耐久性を重視した、まさにラリー仕様。




エンジンは、完全にオーバーホールされた上、見た目も新品仕上げされているから、




実に美しい。











*走ってみた:




トルク感ありありで、乗りやすい。




クラッチも重くないから、長時間乗っても疲れまい。




そして、速い。




「音」も いい!




完璧に同調させたウェーバー3連だけの お蔭ではあるまい。



もともとポテンシャルが高いんだな、、。




しかも、これが、絶妙に素人でも操れるギリギリの速さで、乗り手を飽きさせない。




しかも、このモデル、練習がいる。



クセはないが、シフト・チャンジ時に適度な回転に合わせなくてはギヤを鳴かせること




になる。




適当で、ではダメなのだ。 この練習が、、楽しい。



慣れてきて、スコスコッと吸い込まれるように、シフト・チャンジできるようになれば




確実に、この車の虜になる。








試乗中、突然 雨が振ってきた。





やばい(もったいない)、と、信号持ちの瞬時に幌を張る、、一人で数秒でできる。



これは、他の 骨組みを付けて、、なんて車とは分けが違い。 簡単便利。




幌を開けるのは、もっと簡単で、信号持ち、乗ったままで、フックを2ケ所外して




後に開くだけ、、一人で楽勝。  幌自体の構造、剛性も極めて宜しい。





乗ってみると、これほどのポテンシャルを秘めた逸材を ただガレージのオブジェにし




ておく案はない ことを実感する。




この車の本領は、走りの中でこそ見出せる。



そうなると、やはり、クラシックカーラリー参戦を お薦め



となるが、 困ったことに、当個体、ちんたら街乗りしても楽しい とくる。



トルクがあるから、ギヤ・チャンジなど滅多にする必要もないから、楽なのだ。




まったく、困った1台だ。




さあ、あなたなら、どうします?














まずは、写真73枚を ご参考に  ↓