株式会社シーザートレーディング
TEL.042-480-2222 (営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12
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KAWASAKI |
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MACH V (500 H1) |
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1970' |
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PEACOK・GRAY (ピーコック・グレイ)メタリック |
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ASK |
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US並行 (国内・2012年 登録) 空冷 2ストローク 3気筒 498cc (500) 5速 60馬力 最高速:「198km」 0−400m(ゼロヨン):「12.4 秒」 全長:209cm 全幅: 84cm 全高:108cm 重量:190kg 定員:2人 内外装・機関ともに「フル・レストア済み」個体! 車検: 2年 付き渡し (乗らないなら現状渡し) |
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「カワサキ マッハV」(500 H1) 1950年代の日本は、空前のバイク・ブームで、大小 数百社のメーカーが乱立していた 現在のバイク・4大メーカーである ・「ホンダ」は、 1948年 創業 ・「スズキ」は、 1952年 創業 ・「カワサキ」は、1953年 創業 ・「ヤマハ」は、 1955年 創業 そのほか、1924年創業の「メグロ」(目黒製作所)も(60年代にカワサキが吸収) 各社は、独自の生き残り作戦をたて 凌ぎを削っていた時代、、 「カワサキ」は、「2ストローク」バイクに特化していく、、 1960年代に入ると、生き残る最良の方法は、北米市場で売れる事、、 「カワサキ」は、北米で バイクライダーに徹底アンケート調査を行う。 結果、彼らが望むバイクは、「加速の速いバイク」、、ゼロヨンで勝てるバイクを 望んでいることが分かる。 これにより開発されたのが、当「マッハV」である。 試行錯誤の末の「2スト・3気筒・マフラー3本出し・500cc・CDI点火」 1968年9月、最初の1号車が、明石市の本社で お披露目される。 ボディカラーは、「ミッドナイト・ホワイト」 *1970年に「キャンディレッド」と「ピーコック・グレー」(当個体カラー)追加。 60馬力で、最高速は、「198km」、「ゼロヨン:12.4秒」 当時の日本最速バケモン・バイクであった。 1968年末より、海外輸出開始。 1969年より、国内販売開始。 マッハVは、北米のクレージーライダーに 大いに受け、大ヒットとなる。 ただし、このバイク、おとなしく乗ったのでは、低速域では、トルクがなく、 高回転で乗った方が楽しい、、 高回転域では、別物の乗り物となる、、 グリップは、ビリビリと振動し、白煙を履きながら 猛烈に加速していく、、 フロントが軽量のため、3速まで ウィリーしていくことも(腕が好ければ)、、 実際、198kmの最高速を出すのは、一般人には無理、、車体のヨーイングを止める ことができないから、、。 カワサキは、これを知っていて開発したという 無茶なバイク・メーカーだった。 ここから「最速・カワサキ」「男のカワサキ」伝説が始まる。 この初代「500」を「H1」モデルという。 海外向けには「マッハ500」、国内向けには、「マッハ500SS」。 この初代モデルの特徴が「えぐりタンク」。(ガソリンタンクのデザイン) 今は、この「えぐりタンク」物が、マッハ・シリーズ最大のコレクターズ・アイテム である が、このモデル(H1)は、68年~70年までしか生産していない。 生産台数: 1968年: 「2.211台」(1969年モデル) 1969年: 「15.230台」 1970年: 「20.591台」 トータル:「38.032台」 「車台番号」と「エンジン番号」 ・1969年 車台:「KAF 00001」~ EG:「KAE 00001」~ ・1970年 車台:「KAF 06727」~ EG:「KAE 06315」~ 1971年になると「えぐりタンク」は廃止され「H1A」に。 車台:「KAF 23626」~ EG :「KAE 21876」~ 1972年には、Fブレーキが、「ディスク」となり「H1B」に。 さらに、「500」の成功のお陰で、ラインナップ(排気量)が、 「250」(マッハ1)、「350」*「400」(マッハU)、「750」(マッハW) 所謂「750SS」登場。 1973年の「H1C」、1974年に「H1E」、1975年に「H1F」と細かい改良が 重ねられ、1975年「マッハ」の名は途絶え、 1976年、マイルドな味付けとなった「KH」シリーズ(ケッチ)となる。 「KH」シリーズは、1980年2月まで製造され、生産中止。 1969年には、ホンダの「CB750フォア」が発売され、 最高速:「200km」で、「マッハV」を2km越し、ゼロヨンは、同じ「12.4秒」 このバイクも北米市場で空前の大ヒット、「4スト・4気筒」の時代が到来、、 カワサキも負けじと急ピッチで「4スト・4気筒」モデルの開発を始めていた。 そして、ついに、1972年 輸出専用「カワサキ・Z1」(4気筒 DOHC 900cc) を発表。 最高速:「209km」、「ゼロヨン」:「12秒」と「CB750フォア」の記録を塗り替え る。 *1973年 国内向け「Z2」(750RS)発売 オイルショックの影響もあり、燃費の悪い「2スト」モデルは、時代に取り残されて いった。 余談ながら、私も「カワサキ・ファン」で、最初に買った(18歳)バイクが、カワサキ の「Z400FX」、「Z2」の流れをくむモデルだ。新車で、確か「398.000円」 卒業式に 乗りつけたかったので、無理を言って、大分県では一番最初に納車して 頂いた。 ギリ、卒業式に間にあったが、初乗り中型バイクで、途中、2回 立ちごけした。 このバイク、今は、500万円なんて値が付いている。 この「私のバイク遍歴」は、最終章で!たっぷり では、当個体の お話: 1970年モデル: 車台:「KAF 11918」〜 EG:「KAE 10897」〜 前述の資料の通り、、フレーム、エンジンともに「1970年」モデル! フレームとエンジンは、別々に作られていたから、マッチングすることはないが、 数字がかなり近いので、オリジナルあろう。 *1974年モデル以降、マッチングしてくるが 2012年 国内登録 前オーナー様は、2022年から ご所有 当時、「マッハV」が欲しくて 全国で探し。 福岡にあった棒有名「マッハ専門店」(今は無き)見つけ、福岡へ ベース車輛としてベストな個体を見つけ、そこから、更に フルレストア依頼、 専門家に「おまかせ」で。 確かに どこもかしこも新車のよう、、。 この個体で、謎なのは、北米仕様のはずだか、メーターは、「国内用 1970年モデル用 日本精機製「赤べたメーター」80kmから赤、「タコメーターは、8000rpmから赤、 これは、交換したのだろう。 欧州仕様に「Km表示」モデルがあるが、、欧州モデルは、Rフェンダーがロングで リフレクター付き、こちらは、日本、北米使用のRショートフェンダー。 ボディカラーは、「ピーコック・グレー」メタ(オールペイント済み)。 ボディは、細部にわたるまで、抜かりなくドキレイで、真面目で 手抜きのない仕事 が施されている。 見た目 文句なし あとは、機関系 で、走らせてみた: エンジンのベストな始動方法は、諸説あるが、一般的には、キック 空ぶかし5回 くらい、キーをONすると、「ピー」となるので、そこから、キック、2回ほどで エンジン始動、もち、当個体には、あと改良で、3気筒各燃料コックをつけてあるので 横でOFF、縦でON、、オイルパイプのキルスイッチもON。 寒冷時、または始動性が悪い場合は、「チョーク」を引いて(右グリップにあり) 暖まると、チョークを戻して、、 あとは、走り出すのみ、 5速 かき揚げ式(一番下がニュートラル)、クラッチも さほど重くないし、普通に 乗るなら 誰にでも乗れる 当社の「ブログ」で、「走行動画」を何本かUPしているので、ご参考にしていただく と分かりやすいが、パワーバンドが高回転域にあり、トロトロ走っていたのでは、 トルクが足りず、乗りにくい、、反対に 回転を上げると トルクもりもり、 乗りやすくなる。白煙は必至。 恐ろしく調子が良い、、流石の専門店レストア物。 無茶な乗り方させしなければ、ブレーキも効く。 近年、「マッハV」系の「YouTube」を見てみると、女の子の「マッハ乗り」が急増。 しかも、どえらい再生回数、、こんな無茶なバイクを 女子が乗っている のが バズるのであろう。 また、クラシックバイクは、理解できないが、初期シリアルの個体、車台番号が若けれ ば若いほど高額となる。ほぼほど手造りの時代ってのは、職人が慣れてくる後半モデル の方が精度が好いのは常識だろうに、、謎だ、、。 ともあれ、 「カワサキ」の歴史上、もっとも無茶苦茶なモデルが「マッハV」初期型 もうこんな冒険的モデルを作ることはあるまい。 乗って楽しむことができるコレクターズ・アイテム。 「カワサキというメーカーの心意気が最大限 理解できる1台」 お次の「一時預かり人」募集~ の前に、お写真、「71枚」を ご参考に ↓ 「走行動画」は、当社「ブログ」より |
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| 私のバイク遍歴: 前述のカワサキ・Z400FX(大分ナンバーのまま)、東京に自走で乗ってきて、しばらく乗っていた。 この「大分ナンバー」は多いに役立った。 一目で田舎者と分かるから、、 例えば、原宿の表参道の道を 夜中に知らずに 逆走、、246の角交番のおまわりさんに 停められる。 「すみません、、大分から 出てきたばかりなもので、、」 交「大分の どこ?」 「佐伯市です」 交「ええっ 私も 佐伯市出身なのよ」 と話が 盛り上がり セーフ 1年くらい この「大分から 出てきたばかりなもので」は 通用した。 そんなFXも、19際のころ、クルマに ぶつけられて全損、私、全身打撲で救急車(初めて乗った)、、 全治1ケ月の診断で入院、が、夏休みの里帰り予定2週間前、、 2週間立たないうちに、担当医に「すみません、やめさせてください」 担当医も唖然顔で、「病院やめるやつも珍しい、、」 で、里帰りした。 全損した「FX」にはもう乗りたくないという希望で、替わりに先方の保険で、 「ヤマハのXJ400」を買ってもらった。このバイクは「FX」のスペックを凌駕していて確かに 速かったが、どうもヤマハは向かない、、そうこうしてたら、盗まれた。 数か月後、警察から電話が、「バイクが見つかりましたんで、お引き取りお願いします」 バイクがある場所を聞いて、現地に着いたら、野っ原、、エンジンとフレームだけの姿、、 面影なし、、これを友人と二人で 自宅まで押して帰った(地獄)。 その残骸バイクは、レースをしている友人が、どうせ改造するから と言って 買ってくれた。 もうこうなると「大型バイク免許」を取るしかない。 ただ、当時の「大型免許」は、暴走族対策で、合格難易度MAXの時代。 1980年ごろ、合格率は、7%ほど、東大に受かるより難しいと言われていた。 しかも、教習所はないから、一発本番しかない、おまけに試験日は、3ケ月に1度くらいしか回ってこない。 受かるまでに、15回くらい って話も普通に これじゃ 時間がかかりすぎ、待ってられない。。 当時の目先の目標は「20歳でハーレーに乗る」であったから、 当時、一番有名な「ハーレー屋」:「村山モータース」へ 「西部警察」で「舘ひろし」さんが乗っていた「ハーレーのローライダー」を買いに、 ローラーダーは売っていたものの、村山の親父が、反対、、 曰く:「ローライダーは車高が低すぎて、コーナーでステップ擦りまくり、車体も倒せないので、 ツーリングには向かない・ で、これ どう「FX−RS」 これは、エンジンマウントがゴムで振動も少なく、エンジン位置も高いから、ツーリングに最適よ」 「よくわからないけど、それください、、フルローンで」 かくして、私は「中型免許」しか持たないまま、「ハーレー」に乗って試験会場へ 堂々とメイン駐車場に停めて、、すると 当時はまだ「FXーRS」というハーレーが珍しかったようで、 毎回、白バイ隊員さんに質問攻めにあう。イイバイクだね~とか。 まさか、こいつが大型免許の試験を受けに来ているやつとは、誰も思わなかった。 そして、合格した人に いろいろと合格の秘訣を聞きまくる。 事前審査は、「スズキのウォターバッファロー750」のタンクの中に砂が積められ、異常に重いバイクで、 8の字押し、バイクを倒してから、押し上げる。 この段階で ほぼ女子は落ちる。 私の場合は、普段ハーレーに乗っているお陰で 楽勝、、ハーレーはもっと重い。 受かると、本番コース、これもコツがあって、うますぎても下手すぎても いけない。 決められたコースを完走するだけでも大変だが、仮に完走したとしても、 待っている間の態度が悪い(ヘルメットに座るとか ヘルメットの 持ち方が雑とか 言葉使いが悪い、とか、人相が悪い) とか、とにかく あらゆる角度から難癖を付け 合格できない。 そこで私は作戦を立てた、、 前髪は下におろして いい人顔、ニコニコ ヘルメットは、まじめそうな「白いジェットヘル」購入、 待機中は、警官のようにメットを小脇に抱え直立、微動だに動かない。 試験4回目に ついに 完走。 勝負は ここからだ、、 完走した後、試験官から 質問が(この返答次第で 合否が決まる) 「君は どうして 大型免許 取ろうと 思ったの?」 私:「はい、実は 私の 父親が CB750フォアに乗っていまして 親子で 大型バイクで ツーリングに出かけるのが 夢だったんです!」 キッパリ! *親父は、若いころ メグロに乗っていたが、CB750フォアは持っていない。 当時は「ナナハン・ライダー」というバイク漫画の影響で主人公が乗る「CB750フォア」は、 まじめ人のバイク というイメージ んで、4回 で 合格! これが二十歳の時 翌年には、カワサキ病が再発、、 しばらく乗ってなかったから、、禁断症状が、、。 上野のバイク街(当時、最もバイク屋が集まっていた)へ 下見に、、 「Z2」なんかゴロゴロ売り物がある。 いまでこそ、大人気となった「Z2」は、モデルごとに細かく分類(73’~75’が「RS」、75’~78’が 「750フォア」)しているが、当時は どれも「Z2」あつかい、 私が気に入ったのが、F:Wディスク、F:ディスク という最も安全性の高そうな 1台。 いまなら、このモデル、1978年発売の最終モデル「Z750 D1」というモデルと分かるが、 当時は安全な「Z2」 買いました。フルローンで。 このバイクでも、地元(大分県佐伯市)まで、下道のみで往復したりしていた。 これで、「ハーレー」と「Z750」の2台持ちとなったわけだが、、大井町のボロい2階建てのコーポの 1ルーム&キッチンの部屋で、、 困ったことに、車も所有していた、、3代目「クラウン」(67’~71’)の「2ドア・ハードトップ」 エンジンノーマル(昔から現在までスピードに興味はない)、ホイール替えて、リアサスのみ 「モンロー」のエアサスに。。 横浜の港北区にあった いいかげんな中古車さんで、28万円くらいだったか、、 またまた 余談ながら、この車で 田舎の成人式に参加しようと、、が、完成したのは1日前、、 引取りにいったら、、むむっ ハンドルを切ると、Fタイヤが、フェンダーに当たる、、 「これ 大丈夫なんですか?」 店主 曰く:「ぜんぜん 大丈夫」 そのまま 店から 大分県に自走、、 奇跡的に 無事に 辿りついたが、東京に戻って(自走)、数か月もしないうちに、東名高速を走っている 最中に Fタイヤが バースト、、可憐なテクで 路肩へ、、テッチンのスペアタイヤに交換、、 タイアを買うお金がなかったので、そのまま乗っていたが、、ある日、、あれは、1981年の初頭(20歳) 車雑誌を読んでいると、、こんな記事が「GTRエンジンの再来!発売」 積む車は、ニッサンの「シルビアRS」だという、、 こりゃ 買わなきゃ で、さっそく「日産」のショールームへ その雑誌記事を 営業マンに見せて「この クルマ ください」 営業の方 曰く:「聞いたこともありません、、」 私「でも、かならず 販売されますから、1番にください」 営業:「まだ、カタログもありませんから、カタログができたら お知らせします」 数か月後、連絡があり、実車はありませんが、「カタログが できました」 「カタログ」を見に行き、その場で、「じゃ この一番グレードの高い ハードトップRSエクストラで」 この車は流石に高かったので、フルローンには、要保証人 親に頼み込むと、なぜか すんなりOK、、「あの下品なクラウンから乗り換えてくれて、危険なバイクにも 乗らなくなるなら、一石二鳥」というわけだ。 生真面目な営業マンの お陰で、最初に ショールーム展示用に届いた1台を回してくれて、納車、 正式な「シルビアRS発表会」の日には、その「RS」で 見に行った。 だが、この「RSエクストラ」、、「GTR」の再来などでは、まったくなかった、、4気筒だし、、 1週間で飽きた、、 この車は、2年後くらいに大事故(怪我なし)、、売った。 その途中、バイク2台、クルマ1台の維持費に逼迫、、ハーレーを手放していた。 残ったのは「Z750」のみ、、 このバイクは、「シーザー」が始まったのちも、、35歳くらいまで所有していたが、、ある日、、 以前働いていた元・社員が「ベスパ」に乗って 遊びに来た、、 「松田優作」の大ファンであり、特に「探偵物語」が好きな私にとって、工藤ちゃん(優作)が乗っていた ベスパは憧れ、、、元・社員に「 俺の750と そのベスパ 交換してくれない?」 当然、即OK。 このベスパ、2回ほど 乗ったけど、ぜんぜん 面白くない。 ただ、カタチは好きなので、当時の自宅前に飾って(放置)おいた。 2年ほどで 朽ち果てた、、。 これで、バイク無し生活。 クルマは といえば、20代の後半、「1980’ キャデラック・せむしのセビル」を買う。 「シーザー」にも この車で 通勤していたが、この車、激渋っな故障をする、、 真夏の帰り道、外は どしゃぶりの雨、、蒸し暑い、、クーラーMAX、と 突然、クーラーからの風が 熱風に替わった、、それも尋常じゃなく 熱い熱風、、ストップのスイッチも不動、、止めるすべがない、、 サウナ状態、、しばらく耐えて走ったが、室内温度は急上昇、、車を停め、外に、、土砂降りの中、、 全身ずぶ濡れになると少しは涼しい、、また、車に戻り、運転、5分と持たず、また 車を 降りる、、 この繰り返しで、やっとこさ帰宅、、修理代金は、エアコンユニット総交換で、買った値段より高い、、 捨て、、。 そののち、色々なクルマを通勤車にするのだが、そのお話は また別の機会に、、 因みに、初めての「RR&B」は、29才のときに買った(絶対、30歳までに入手しておきかった) 「75’ ベントレーT1サルーン」、、今の知識があれば、絶対買わないモデル&コンディションなやつ、、 この お話も また次回に 今回はバイク しばらくバイクには乗っていなかったが、2011年のある日、、 通勤途中の 環八に、突然 「インディアン」のショールームができる。 「インディアン」というバイク、、うちの じいちゃんが若いころ乗っていたバイク、、 白黒の写真が 1枚だけ 残されていて、、若かりし日の じいちゃんが、誇らしげに 跨っている。 おそらく、20年代か30年代のインディアンであろう、、 こ、これは、、買えってことか、、 「インディアン」の現行モデル(買える)に どんなモデルがあるか調べる、、 結果、どうも ピンとくるモデルはなかったのだが、数日後には、ショールーム訪問、、 すると、展示してあるバイクの中に 知らないモデルが、、 聞けば、、2011年、インディアン創業110周年記念モデルの限定車「ブラックホーク」、、 アイボリーとブラックのコンビカラー、、無茶苦茶かっこいいっ 「買います」 (乗らずに) 東京店(本社は名古屋)で、このモデルが売れた1台目という。 納車までの間、さっそく「インディアン」用品を買いあさる。 バイクのインディアンと洋服のインディアンは、まったくの別会社、、 革ジャン、Tシャツ、などなど まもなく 納車された。 自宅まで ではでは ワクワクしながら、セルスイッチON、一発始動。。 んん なんだ、このエンジンの感じ、、 インディアンは、ハーレーの高級版的メーターであるが、、昔 乗っていた「ハーレー」(ショベル) の振動の感じ と まったく異なる、、同じVツインなのに、、 昔のハーレーは、「スットコ スッコト」 と心臓のようにアイドリングし、ドドドドドと走り出す、、 だが、こちらが、「ブウウウウウウ」とVツインらしくもない安定アイドリング、、シューーと走り出す、、 ってか これ 大型スクーター?? 2回乗って 飽きたが、、 じいちゃん の思い出と ガレージに置いて 眺める分には最高、、素晴らしきデザイン、 で、手放す気はなかったのであるが、1年ほどのち、自宅リフォーム(以前、ブログでも一部だけ ご紹介 した、家の中に 崖 をつくるやつ)、USJの「ハリーポッターの城」も作った職人たち、、 大量のモルタルを作るので、ガレージ内で、、「バイクは ほこりだらけになるので 外に出してください」 いやいや 野ざらしはできない、、で、「インディアン」店長に「ショールームに 飾っておいてくれない」 「承知しました、、、ただ、飾りだけだと立場上、、ほぼ買った値段で 委託というテイでは?」 「売れないよね?」「たぶん」 1ケ月もしないうちに、売れた、、、 そうして バイクなし生活が 現在にいたる、、 もちろん、バイク熱は冷めておらず、かと言って、車 同様、現行モデルで欲しいものなし、、 「Z1」「Z2」が 今見ても 一番好きだが、、私が 上野のバイク街で750買ったときは、 48万円、、、今、10倍ほど カッコは好いが、乗って さほど楽しくはないバイクであることを 知っているから、買いずらさ満点、、 とはいえ、探し中〜 物語は まだ 終わらない、、 |
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